●恋愛小説●

□宝物(仮)
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「元気だった?」
 公園のベンチに並んで座り、リンコが私の顔を見て言った。私は、目の前に置いた乳母車の中の子どもを見ながらうなずいた。
「…この子、あの時の?」
「うん。かわいいでしょ。ランコって言うの!」
 リンコはまるで自分のことのように笑顔で言った。
「産んだんだ。てっきりおろしたんだと思ってた」
 私の言葉に、リンコは顔を歪ませた。
「そんなこと、出来るわけないよ」
「どうして?」
 リンコはしばらく私の目を見て、それから子どもの頬にそっと触れた。
「好きな人の子どもだったから。私臆病だったし、命を奪うなんて…人を殺すなんてことできない」
「臆病?リンコが?」
「そうだよ。きっとエミカよりも」
 私には分からなかった。普通、産まない方が臆病なんじゃないか。産む方が勇気がいるんじゃないか。
 今の私の考えはおかしいのか。
「私ね、本当は今結婚してるはずだったの」
 リンコの突然の言葉に私は驚いた。
「誰と?」
「もちろん、この子の父親。実は、この子のこと産んでほしいって言ったの、その人なんだ」
「中学生に?頭おかしいんじゃないの、その人」
 リンコは笑った。
「そうかも。でも、私は嬉しかったんだ。一緒に育てようって言ってくれたことも、16になったら結婚しようって言ってくれたことも」
「別れ…ちゃったの?」
 私はおそるおそるリンコに聞いた。すると、リンコはつらそうな笑みを浮かべて小さくうなずいた。
「…うん。別れた。死別って言うのかな。半年前に交通事故でね」
「えっ!?」
「馬鹿なんだよ、あの人。私の誕生日の日残業で遅れて、走って帰ってくるって…そしたら車と衝突。ほんと馬鹿」
「馬鹿なの、それ?」
「馬鹿だよ。すっごい馬鹿」
 リンコはわずかに目を潤ませていた。その姿を見ると、何故だか心臓付近が痛かった。鋭いマチ針で指されているみたいだ。
「…痛い」
 ふいに私はつぶやいた。
「エミカ?」
 リンコが私の顔をのぞきこんだ。
「泣いてるの?」
「え?」
 私は気がつかなかった。頬を触ると冷たい感触が指に触れた。
「あれ?」
 とめどなく溢れる涙は、私の心を混乱させた。私はリンコの彼氏なんか知らないし、別にリンコのことをそこまで好きなわけでもなかった。なのに、こんなにも心を揺さぶられる。人の生き死に反応している。
「エミカ…今好きな人いるの?」
 リンコが笑顔で私に聞いてくる。
「え…う、うん」
 私は曖昧に、けれどはっきりと頷いた。
「だったら、見失わないでね」
「え?」
「私みたいに失ったら、遅いから。絶対に、後悔するからね」
 リンコはそう言って、乳母車の中で小さな寝息をたてているランコの頬に触れた。リンコの頬から、ランコの頬へと伝う。
 あれは――涙?
「リンコ」
 私は、どうしたらいいか分からなかった。だから、聞きたくなった。
「リンコ、子供産んで…よかった?」
 リンコは一瞬驚いた顔をして、それから今まで見たどの笑顔よりも笑顔らしい笑顔で、
「うん!」
 そう言った。

             
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