理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で

□お客って大概ややこしいときに来る
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「ちょっと、早いですってば利吉さん」

 五度目か六度目かの、同じ様な声掛けで漸くやや歩調を緩めた連れに対して、北石照代はやれやれと溜め息を吐く。肌を伝う汗を拭いながら、連れに追い付いた。

「別に供だって行く必要も無いだろう」

 此方に目も向けずにそう宣う連れは、山田利吉は、照代を連れとは思っていないようで、照代も別段仕事というのならまだしも、この様な愛想の無い男を供になど願い下げだとも思っているのだが、

「微妙な時間差着けて到着なんかすると、くノ一教室の子達に変な勘繰りを受けるんですよ」
「じゃあ、一緒に学園に入る方がもっとまずいじゃないか」
「堂々とやる方がつっこまれないんです。つまらないから。あと昼前に着きたいの。どうせならおばちゃんの美味しいごはんを食べたいじゃないですか」

 利吉は理解不能の言語を聞きでもしたかの様に顔を歪める。

「そもそも、なんで仕事だけにあきたらず学園にまであんたが一緒なんだ」
「だからさっきも言ったでしょう。私は山本シナ先生からお呼びが掛かったんです」
「へぇ」
「クソ程に興味無さそうですね」
「おなごがクソとか言うんじゃないよ」

 涼やかな横顔をした利吉が、罠の印を飛び越えるのに照代は続く。既に学園の競合区域に入った。昼前どころか朝と言っても良い時間だ。先導する利吉――本人にそのつもりは無いようだが――がいなければここまで早くは着けてなかったろう。

「利吉さんこそ、そんなに急いで学園に何の用事なんですか」
「別段急いでなどいない」
「ふぅん……」

 多少鎌を掛けたところもあったが、そこを否定した辺り、やはり急いでいるのだろう。

――また学園で騒動でもあるのかしらね。それとも私とは関わりの無い類いの仕事か、それとも……ああ、いやそれは流石に無いか――

 最後に浮かんだ考えを照代はすぐに却下した。が、然し待てよと思い直す。

――一瞬、学園に好い人でも出来たのかなんて思っちゃったけど、面は良いけど仕事人間の朴念仁に惚れるなんてよほどの面食いか初な娘ぐらいよね……いや、でもこっちが急いでるんだから利吉さんが一方的に惚れているって場合もあるのかしら…………やだ。だったらそれちょっと面白いじゃない――

 道中の暇潰しに、加えて日頃仕事において出し抜かれていることへのちょっとした憂さ晴らしに、もう少し鎌を掛けてみようか。と、照代が口を開いた瞬間だった。

「北石!! 伏せろ!」
「えっ? ぶっ!?」

 突然の利吉の怒鳴り声に一瞬固まってしまった。と思いきやガクンと視界が下がる。利吉に無理やり引き倒されたのだ。顎を軽く打った。文句を言いたいところだが、その前に何が来たのかをまず確かめねば。激しい葉擦れと木の枝がへし折られる音と共に、頭上を滑空する様に通り過ぎた何かと、その何かが立てたのだろう鈍い衝撃音の正体を。

 頭を上げれば、直ぐ側の木の根元に、何者かがへたりこんでいた、いや、膝と腕を地につき、肩で息をしているそれは、力無くへたりこむというより飛び掛からんとする獣を思わせる姿勢だった。忍び装束を着ている。至るところが真っ黒に泥だらけで正しい色が分かりづらいが、体格からして学園生徒。下級生には見えないが上級生と見るには小柄だ。三年生か、四年生辺りか。ぼさぼさに乱れた髪が被さり、俯せた顔の表情は判別つかない。
 背後の木の幹の、その生徒の身丈より頭二つ分高いかと見えるところが、僅かに土と血で汚れている。見れば、生徒の右腕に制服の上から血が滲んでいた。どうやら、この木まで吹っ飛ばされ、件の場所に身体を打ち付けたようだ。
 そこまで分かったとして、だとすれば問題はこの生徒を吹っ飛ばした某かがいるという事。つまりは戦闘中。学園への敵襲という場合もある。

 照代の頭上で、利吉が何事かを怒鳴った。人の名の様だったと思うや否や、そのボロボロの生徒は身体を反転するように右へと飛び退く、同時に、先程までその生徒がいた場所へ飛び苦無が二本、三本と地を抉るように刺さった。髪がなびいてようやく顔が覗く。眼差しがこちらへ向けられ瞬間、微かに表情が歪む。そのままその生徒は転がるように繁みの奥へとかけずり去っていった。

「利吉さん、あれは一体……」
「おおっ! 利吉さんに、北石先生では無いですか!」

 何かしら事情を知っていそうな利吉にたずねようとした照代の声を、快活な声が遮った。
 照代達の背後、木立の間から飛び降りる様にして現れたのは学園の最高学年の生徒だ。

「七松くん!」

 教育実習生として学園にいた時は、上級生を直接受け持った訳ではないのだが、人懐こい性格だったり人当たりの良い何人かとは顔見知りになっていた。彼、七松小平太もそんな生徒の一人である。
 小平太は「お久しぶりですね」などとにこやかに笑いながら地に刺さっていた飛び苦無をひょいひょいと抜く。

「あっ、それ」
「はい?……ああ、今、鍛練中なんですよ」
「鍛練……」
「はいっ!」

 そうニッカリと音が鳴りそうな明るい笑みを見せた小平太も、先程の生徒程では無いが泥だらけであった。苦無を軽く指で回しながら刃についた土を落とす小平太の、泥やら日焼けやらで黒い顔の中で一際ぐりぐりとした印象の眼がきろんと動く。

「今、私の委員会の後輩、」

 凄まじい早さで近付く気配と微かな足音。
 通り抜ける風が一陣。

「とおっ!」

 小平太が苦無を振るえば、激しい金属音と共にさっき走り去っていった筈のボロボロの生徒が地面に転がる。そちらの手には棒手裏剣。転がった様に見えたが、直ぐ様地に手を着き次の挙動に入った。体勢の低いまま小平太へと間合いを詰める。繰り出された小平太の苦無をすり抜け、鳩尾に向けて下から突き上げるように掌底を打ち込む。続けざまにもう一発、三発目は拳。小平太は軽く咳を吐きながら衝撃に合わせるように半歩下がり、腕を凪ぎ払った、小柄な身体が木の葉が翻る様に小平太から離れ、そのまま木立の間を枝伝いに飛び去っていく。

「よぉおっし! 今ので十二発目だ! あと三発だぞ、頑張れっ!!」

 小平太はその遠ざかる俊敏な山猿の様な影にそう呼び掛け、照代達に「では失礼します!」と一礼し、彼もまた木立を飛び去っていった。

「……はあぁ、生徒同士の鍛練であれ? やっぱり学園は格が違いますねぇ、利吉さん…………利吉さん?」

 利吉の返事が無い。と、思いきや、見れば利吉は、照代より遥か遠くをざくざくと歩き去るところだった。

「え? ちょっと待ってくださいよ!」

 利吉は先程よりも更に足早で、少し上がり気味の肩からは僅かに近寄りがたい苛立っている様な雰囲気を漂わせている。

「どうしたんですか、ねぇ!」

 照代の呼び掛けに対して振り返る事も歩調を弱める事も無く、利吉は殆ど駆け足の様に学園へと歩き去っていく。

「……もう。なんなのよ、あの男は」

 追うのを諦めた照代は、着物に着いた土を払いながら、意味が分からんと溜め息を吐くのだった。

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