理不尽に爛漫に/道理に叶って絢爛で

□風が通る日
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 豆腐、じゃなくて火薬委員会見学の翌日、約束通り、ハチから本草学について教えて貰う事になった。

 くのたま長屋の自室に本草帳と昨日授業で採集した薬草を取りに戻りながら何と無くお腹を擦る。
 昨日の豆腐地獄は中々に地獄と言わんべき何処のフードファイターかといった状況だったけど、ものが結局豆腐だったせいもあり翌日の胃もたれも特に無い。後半蒼白になって沈黙してしまっていた三郎に至っては今朝は食事を抜けども昼はしっかり食べていたし、まあ何だかんだで美味しかったし、心なしか逆に肌とかの調子も良い気がするし……うーん……豆腐、侮りがたし。
 でも毎日毎食は流石に無理だわなあと、今朝も昼も豆腐をもりもり食べていた兵助を思いだし、独り引き釣るのだった。豆腐小僧、恐るべし。

 そんな事をぐだぐだ考えながら、本草帳やらを手に再び忍たま学舎に戻る途中、山本シナ先生と行き逢った。

 いや、くのたま学舎内だから会って当たり前ではあるけれど、昨日の今日で、中々に気まずいものがある。
 取りあえず私は、若い美女姿をなさっているシナ先生にのろのろと頭を下げた。小さく笑われた、気配がする。

「あ……昨日は、その……」

 昨日は……何て言えば良いだろう。すみませんでしたは何だか違う気もするし。また小さく笑われた気配を感じて首筋がじわりと熱くなる。

「……お時間、割いて頂き……ありがとうございます」

 いや、これもちょっと違う気がする。
 熱い顔を上げれば、私を見ているシナ先生は昨日と同じ様に苦笑を浮かべていた。

「此方こそ、時間を取ってごめんなさいね……」
「いえ、シナ先生が、私の事を考えて話して下さいました事は、良く分かっています」
「そう」

 シナ先生の苦笑はますます深い。

「答えは、いえ、今出しなさいとは言いませんが、あれからお考えにはなって?」

 その問いに、私は曖昧に頷いた。

 考える。
 何を。
 どうすれば。を。
 いや、違う。
 私が、どうしたいか。を。
 どうしたいか。
 どうしたいのか。
 そこで、止まる。
 どうしてか。
 分からない。
 それは、逃げてはいないか。
 分からない。

「こらっ!」
「おわっ!?」

 ぱん。と、いきなり目の前で打ち合わされた手に文字通り飛び上がった。
 直ぐ目の前に、少し恐い顔をしたシナ先生がいて、先程打ち合わせた手で私の両頬を包む様にする。
 いきなりの美女至近距離にどぎまぎしているのか、さっきびっくりしたせいなのか心臓が煩い。

「今から忍たま学舎に戻るのでしょう」
「は、はい」
「ならその辛気臭い顔はお止めなさい」
「す、すみません」
「簡単に謝らない!」
「はっ、はい!」

 シナ先生の放つ雰囲気はお説教のそれで、有無を言わせない威圧感たっぷりだったけど、何処か、本当に僅かだけれど、此方を柔らかく緩ませるものを感じた。
 それは、私の頬を包むシナ先生の掌が暖かだった事もあるのかもしれないし、至近距離にあるシナ先生の真剣な瞳に情けない顔をした私が映っていたからかもしれない。

「貴女の心は、貴女だけのものよ。易々と、無意識にぶら下げるものじゃないの」
「……はい」
「分かっていらっしゃらない返事はいりません」

 じゃあ、どうしたら良いんですか。
 と、口に吐いて出そうだった言葉は、それでも一歩足らず喉に引っ掛かって終わる。
 シナ先生の恐い顔は、ほどけて、微笑みに変わった。

「もっと強かにおなりなさい。弱さは使い分けなさい。それから、もう少し、気楽になりなさい……私が言いたかったのはそういう事なのよ。くのたま教室云々は、後から着いてきただけよ」
「は、あ……」
「誰も、自分を責めたりできない。貴女はそれぐらい能天気でも良いぐらい…………でも、今こんなに一気に言っても、分からないわよね」

 微笑みには苦笑が混ざり、シナ先生の手は頬を離れて私の肩に置かれる。

「ごめんなさいね。こんなのは、お説教でも何でもないわ。また時間を取ってしまいました。誰か待たせていらっしゃるのかしら?」
「え、ええ。まあ、」
「では、行って差し上げて。本当に時間を取ってごめんなさいね」
「いえ、失礼、します」

 シナ先生に背中を軽く押され、歩き出す足は妙にぎくしゃくとした動きだった。
 さっきまで言われた言葉が頭の中をぐるぐる渦巻いている。だけどぼんやり膜が掛かってるみたいで、飲み下したいのに、どうしてだかすっきりと自分の中に馴染んでくれない。
 あんなに真剣に伝えてくれていたのに、申し訳無くなる。情けなくなる。

「葵さん!」

 呼び止められた。
 振り返れば、目映い程の微笑み。

「笑顔よ。笑顔!」

 私はそれに、曖昧に頷いて、それから、無理に口角を上げてみる。

「まあ、無いよりはましね」

 シナ先生は、そう、肩を竦めた。


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