咄、彼女について

□むじなかくし
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 田植え休み明け最初の授業は午前と午後に一講義ずつ、午後は軽い身体慣らしとして一年いろは合同で学園内のマラソンだった。
 外塀の周りをぐるりと数周回るだけの、今にしてみれば他愛ないものだが、まだ身体の出来上がっていない子どもの時分には充分に息が上がる運動だった。かくいう俺も、悔しいかな、出だしは張り切っていれども仕舞いにはぜえはあと肩で息をしながら走り終えて地面にへたり込んだ。
 そこに近付いてくる足音と、被る影。

「相も変わらずお前はがむしゃらだな文次郎」

 仙蔵は額に汗を滲ませていながらも表情も声色も涼しげだ。
 目に入り込んだ汗が滲みる。顔を袖でごしごしと擦れば余計に痛い。再び見上げた仙蔵は呆れた様に目を眇めていた。

「仙蔵、何時に着いた」
「ついさっき」

 その答えに、内心拳を握り締める。仙蔵に勝てただけでも今日は頑張った甲斐があると思った。

「速ければ良いというものでも無いさ。こういうのは、自身の体力を見計らって走るものだ。走り終えた先でへたり込んでしまう様ではその後の動きに支障が出るじゃないか」

 仙蔵が、顔をつんと逸らしながらそう宣う。俺は得意な気持ちを態度には出さなかったつもりだったが、何かしら顔に出ていたのかもしれない。そこにつっかかる辺り、仙蔵もまだまだ子どもだった訳だが、子どもだったのは俺も同じで、その物言いは俺の奮闘にケチを付けられたようで少々カチンと来た。然し、何かしら言い返してやろうと口を開いた途端、先生方の集合の声が聞こえて、仙蔵はさっさと歩き出してしまい俺は益々ムッとする。立ち上がった膝がずっしりと重たい感じがして歩き辛いのが悔しいのも含めて。

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ…………よしよし、全員おるな!」
「いえ、大木先生……その、多分、一人足りないかと……」

 その日の授業を束ねていたのは、当時はまだ学園に勤めておられた大木雅之介先生、大木先生の横から遠慮がちに声を掛けるのは、当時はまだ教員の初任研修中であられた土井半助先生である。
 土井先生は、元々の顔立ちもあるが、この頃はともすれば学園の上級生とも変わらないぐらいで、俺の目には若いというよりも寧ろ幼く見えていた。要は不敬な話だが、あまり先生としては見ていなかった気がする。

「土井先生、全員いると思います」

 周りを見渡して人数をざっと数えたが、いろはのどの組も数は欠けていない。土井先生の勘違いでは無いかと、俺はそう発言した。
 土井先生は、自信無さげな様子で目を泳がす。頼り無いな。と、思わず顔をしかめる俺を他所に、土井先生は小さな声で大木先生に何事かを告げた。

「……お? おお!そうじゃった!そういやおったの!」

 大木先生は、眇めていた眼を途端、かっと見開き、は組の方にぎょろりと目を向ける。は組も少しざわざわとしだした。

「確かにおらんな……は組、善法寺伊作はどうした?」

 は組の奴らは益々ざわざわとして、それから誰ともなく「何時の間にかいなくなってます」と、心配そうな声色で述べる。

「迷子かのぉ」
「……同じ道を周回するだけなのに、迷うものなんでしょうか」
「それでいなくなるんじゃから、迷子なんじゃろうが」
「はいっ!はい!大木先生ぇっ!」

 大木先生と土井先生の言葉遊びの様なやり取りを遮った快活な声。
 ろ組の……七松小平太だ。
 仙蔵と同じく、当時の学年の中でも突出していた数人の内の一人。仙蔵が座学、実技の総合力として一番ならば、小平太は実技の点だけにおいてその上をいった。

「私が探しに行きますっ!」

 当時はまだ小柄な身体を跳ねさせる度に、量の多い堅そうな結髪がぼさんぼさんと揺れる様は、元気の有り余った犬の子の様だった。

「まだ走り足りてないので!」

 事実、有り余っているらしい。周りの生徒らは、そんな小平太を見て顔を引き釣らせている。

「ほぉ、そうか。んじゃ、小平太、任せた」
「はいっ! 長次も連れていきます!」

 ろ組の生徒達の塊の中から、一人連れ出されたそいつは、困った様な笑みを浮かべている。

「二人とも、顔は分かっちょるのか」
「はい、既に一度会ってますので」
「ほぉ、そりゃ丁度良い。まあ、一年の制服を着とるから顔は知らんでも分かるじゃろ。行って来い」
「ちょ、ちょっと、大木先生……! 生徒だけに任せて良いんですか?」

 咎める土井先生に対し、大木先生は少し面倒臭げに頭を掻く。

「学園の外には出とらんじゃろうし。本人が言うた通りに、小平太がまだ走らせ足りないっつぅのもある。こいつ、体力余らせると何しよるか分からんのよ」
「は、はあ……」
「小平太、物は壊すなよ」
「ぜんしょします!」
「意味を分かって言うとんのか……長次、頼むぞ。見つかったら儂のとこに連れて来るように」
「はい、お任せください」
「長次! 行くぞ!」

 小平太達は勢い良く走り去っていった。
 それを見送った大木先生は、ざわめいている俺達を見下ろしぱんと手を打つ。

「よし! 残りの奴らは解散! お前らも、もし善法寺伊作らしき奴を見つけたら儂のところに連れてこいよ。本日の授業はここまで!」

 そう締めくくった大木先生に、俺達はあまり揃っていない「有り難う御座いました」を返した。
 わらわらと散開していく皆の中、俺は立ち去る大木先生の後を追いかける。

「大木先生、善法寺伊作とは?」
「うん?」
「今日やって来た編入生だよ」

 俺の問いに答えたのは土井先生だった。俺はそれに軽い会釈を返し、大木先生を見上げる。

「先生、俺も探しに行きます」

 単なる気紛れに近いものだった。小平太達に対する対抗意識みたいなものもあった。

「おー、好きにしろ、好きにしろ」

 小平太達には『任せた』や『頼む』で、俺には『好きにしろ』。釈然としない気分ではあったが、ならば尚の事、俺が見付け出してやろうとも思った。
 踵を返せば、佇んでいる仙蔵と目が合った。
 歩き出せば、隣へと着いてくる。

「何だよ」
「探しに行くのか?」
「だったらどうした」
「ろ組の七松が行ったならお前の出る幕は無いだろう」
「じゃあ、仙蔵は帰れよ。出る幕が無いからって引っ込む理由にはならないぞ。俺は一流の忍者を目指してるんだからな」
「一流の忍者と、人探しにどんな関係があるんだ」
「失せ物に関わる事も、忍者の仕事の内だろうが!」

 仙蔵は、「ふぅん」と、興味無さげな相槌を打ちながらも着いてくる。
 それがどういうつもりだったのかは今思い返しても良く分からないが、思えば、あの頃の仙蔵が気安だてにできる人物は非常に少なくて、その数少ない内に俺がいたというのや、冷静な面構えをしつつも内面はかなり負けん気が強い奴でもあったというのが、少なからず関わっていたのでは無いかとも思う。

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