咄、彼女について

□ともがら・其の一
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 一年生の頃だ。

 学園には、農家出身の生徒への配慮で、田植え休みというものがある。
 俺もまた里へと帰り、家の田植え仕事に加わって、短い休みを家族の元で楽しみ、そうしてまた、学園へと戻って来たその折りに、俺は奴と出会ったのである。

 獣道を通り抜けて学園の正門の前へ出れば、正門の側に見慣れない奴が立っている。
 年の頃は俺と同じくらい、着ている着物は餓鬼の俺から見てもそれなりに良い生地、あちこちが薄汚れてたり少し破れてる所があるのに違和感を覚えるくらいにはきちっとした品の良い着方をしていた。
 何より目を引いたのはそいつが(おい)を背負っている事だ。風呂敷の包みを上に重ねてあるそれはそいつの身丈に合わせてか、坊さんが背負うものと比べればやや小振りな作りにはなっていて、でもそれは確かに笈であり、小振りではあれそいつの背中の殆どを隠し見た目にも重そうなのであった。金楽寺からの使いの小僧……にもあまり見えない。

 そんな事を思いながら近づいていけばふと、そいつが此方を振り向いた。

 猫みたいなつり目。だが、意地の悪そうな感じは無く、何処かぼんやりとした雰囲気。やはり年頃は俺と同じくらだ。いや、それよりも、

「うっ」

 俺は思わず、半歩ほど後退りしてしまった。何故今の今まで気付かなかったのだろう。気付いた途端に、米神に鈍い痛みがじわりと広がる。

「えっと……君、忍術学園の人、かな?」

 俺に走る緊張とは裏腹に、穏やかな笑みを此方へ向けるそいつの足元。

 足元の、影の内から腕、と思わしきものが一つ生えている様に見える。

 人の腕の形はしているが、その色は凡そ生きているものとは違う。

 真っ青、なのだ。
 藍の様な、色をしたそれは、そいつの片足の脛に絡み付く様にして、爪を立てている。爪の先は藍の内でも更に色濃く、どす黒い様な色をしていた。

「僕、その……此方の入学希望者なんだけれど…………」

 こいつは、気付いてないのか。
 いや、ふっと視線は足元に落ちて、その俯いた表情がやおら曇り出す。

「あの、何だろうか。怪我でもしちゃったのか、左足が……動かなくて」

 成る程、青い腕は見えていない。然し、身体に影響は出ているのか。
 俺はどうすべきかと、冷や汗を浮かばせ狼狽えながらも取り敢えずそこらに落ちていた木の枝を拾う。
 米神は割れる様に痛い。つまり、これは良くないものだ。思えば、少し昔の俺なら逃げ出したくて仕方ない状況だったのだが、その時はどうにかしてやらねばという気持ちの方が勝った。
 その場に俺とそいつしかおらず逃げ場が無かったせいかもしれないし、また非常に癪ではあるが、何処ぞのすっとんきょうなくのたまの、鏡子のお陰で耐性がつきつつあったのかもしれない。

 青い腕は、そいつの脛に絡み付いているだけで動く気配も無い。
 俺は痛みと込み上げる吐き気を堪えながら、拾い上げた枝を握りしめそいつの側に近づいていき、

「うりゃっ!」
「うわっ!?」

 勢いに任せて、そいつの脛に絡む腕へ枝を叩き付けた。
 途端、ぐしゃりと何かを潰すような感覚が手に伝わりぞわりと肌が粟立つ。そして俺がした事に驚いたのだろうそいつは叫びながら尻餅を着いてしまったのだった。

「…………えっ、な、なに?」
「……あ。わ、悪い!」

 目を白黒とさせて此方を見上げてくるそいつに、俺は慌てて枝を放り出してそいつの前に膝を折る。腕を引いて身体を支えれば、そいつははっとした顔で自分の左足を擦る。

「痛いのが無くなった……!」
「おう、そりゃ良かったな」

 それもその筈だ。
 その脛に絡み付いていた青い腕はもう無くなっている。消えたのか、それとも何処かへ去ったのか定かではないが、俺はそれに面白いくらいに安堵したし、してやったぞという胸のすくような気分がした。
 それから、俺を見てくるそいつの目が大きくてキラキラとして、俺の顔まで映り込んでるのが分かるくらいで、それを凄いなと思った事は今でも良く覚えていて、そう、今でも、

「もしかして、虫か何かを払ってくれたの?」
「あ、ああ。まあ、うん」
「ありがとう!えっと、僕は善法寺伊作というんだ、君は?」
「食満留三郎だ」

 伊作の特徴といえば、その大きな目だと思ってるくらいなのだった。

 そう、同級にして同室の輩、善法寺伊作との初めての出会いは、こんな風であった。
 他愛ない一瞬でもあったが、この時が、俺が『見えているもの』で人の役に立てたと思えた初めての出来事であって、故に忘れ難く、俺と伊作の仲が深まっていったのには、その役に立てたという俺の嬉しさが少なからず作用していたのかもしれない。

「留三郎君か、よろしくね」
「別に、君とか無くて良いぞ」
「……そう?えっと、じゃあ留三郎、よろしく」

 そう穏やかに、春のお日和みたいに笑う伊作を見て、俺は、あんな事になってたのに呑気な奴だと思った。

「うん、俺も此処の一年生なんだ。よろしくな」

 また何かあったら、俺がこいつを守ってやろう。
 と、その時はまだ微かなものだったが、そんな思いの種みたいなんが、今思えば確かに、この時に、胸の内に生まれたのだろう。

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