咄、彼女について

□夢枕
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 姉上は、『天女様』に纏わる色々なごたごたを解決して、「三日程寝る」と言ってその通りに眠ってしまったのだった。僕はそれを、食満先輩から聞かされた。

 用具倉庫で作業をしていた僕達後輩の元にやってきて、「すまなかった」と頭を下げて今までの不在を謝った食満先輩が、最後に僕を見下ろしながら困った様に告げたのだ。
 僕は食満先輩が戻ってきてくれて嬉かったけど、それを聞いた時にお腹の奥がひんやりと冷えた様な気分になって、ぎゅっとそのひんやりとする所に手を押し当てる。
 食満先輩の形の綺麗な眉が、ひく、と動いた。

「三日、ですか」

「ああ、三日程になる。と、鏡子は言っていた」

 すまない、と、また食満先輩は僕に謝る。
 僕は首を横に振り、大丈夫です、と答えた。
 何があったかは、きっと聞いても理解はできないだろう。ただ、食満先輩の事だ。きっと姉上をギリギリの所で助けてくれたのだろう。僕がそう思いたいだけかもしれないけれど。

「……多分、六日になるかもしれないです」

「え」

「昔、似たような事がありましたから……」

 僕がそう答えれば、食満先輩は少しだけ目を瞬いて、「ああ」と小さく声を出す。

「三年前か」

「そうです」

 三年前、つまり姉上や食満先輩が三年生で、僕はまだ七つの頃だ。
 夏がもう盛りになるかという、あと少しで夏休みが始まるかという頃に、家に帰って来たのは学園の先生に運ばれてきた眠った姉上だった。
 それを見た時に姉上は死んでしまったのだと早とちりをして大泣きをしたのを今でも良く覚えている。
 もうこのまま目覚めないかもしれないというひんやりとした感じも。

「あの時は、姉上は五日寝ると宣言してたらしいんですが、結局十日は眠っていましたから」

 姉上が目を覚ました時、僕は布団にしがみついてまたも大泣きした。
 姉上は笑って、僕の頭を撫でた。
 吃驚するほど軽い手だった様な気がする。その時は、何も見えなかった。

「それで、三日ならば、六日、という訳か」

 食満先輩の表情が笑った様に見えた。でもそれは本当に一瞬の事で、後は居心地の悪い沈黙だけが、その場に流れた。

「飯行きましょう、皆で」

 守一郎さんがそう小さく笑いながら言った。

「行きましょう!」

 するとしんべヱが途端に元気良く言ったもんだから、僕と喜三太はそれに笑って、漸くぎこちないなりに僕達は動き出した。
 そうしてちょっとぎくしゃくとしながら食堂に行けば、昼食には遅い時間だというのに委員会ごとに集まった生徒達が僕達みたいにぎくしゃくとした感じにご飯を食べていた。
 人数のわりには妙に静かなその光景に、食満先輩はさっきよりもはっきりと笑ったのだった。くしゃりとした苦笑いだった。


「……でも皆でご飯を食べたら、元通りになりました」

 と、僕はその昨日の、食堂での様子を姉上の枕元で話している。
 返事は無いのは当然だ。この部屋には眠っている姉上しかいないし、僕は分かっていて眠る姉上に話している。

 くのたま長屋には、山本シナ先生が特別にと通してくれた。
 忍たま長屋に比べて小さくて、昼日中だから誰もおらずとても静かだ。

 僕は姉上の寝顔を見下ろす。
 青白い寝顔だ。
 瞼はぴったりと閉じられていて、唇は薄く開いて音もなく寝息を吐いている。
 布団から片手がはみ出ていた。
 僕はそれに触れてみる。何も見えない。姉上は、きっと知らないんだろう。僕が手を握っている事も、怖がりの僕が、何も見えない事を少しだけ悔しがっているのも。
 暫くずっとそうやって、でもやっぱり何も見えなくて、僕は諦めてその力無い手を布団の中へしまってから立ち上がる。

「また来ますね」

 返事は無い。
 静か過ぎる部屋に僕の言葉は吸い込まれちゃったみたいに思えて、また僕の手はお腹をぎゅっと押さえている。
 できるだけ静かに障子を閉めて、シナ先生にお礼を言って、また来ても良いか許可も貰って、くのたま長屋を後にする。

「鏡子さんは幸福者ね。あなたみたいなお姉さん思いの弟がいて」

 僕の帰り際に、シナ先生はそう綺麗に笑った。
 眩しい感じのするその笑顔に少しぎょっとしながら、僕はギクシャクと頷いたのだった。
 同じ女の人なのに、姉上とは全然違うもんなんだなあと、そう思えば、頭の中の起きてる姉上が「へいちゃんはおませさんだなぁ」と笑う。
 僕の想像でしかないのに、それは凄く姉上っぽかった。

 姉上はどんな夢を見るのだろうか、と、ふと思う。

 くのたま長屋からの帰り道、地面に落ちる自分の影を見ながらぼんやりと考えてみる。影が紫色に見える。青葉の色は日に日に濃くなって、きっとその内に日差しも強くなる。僕のクラス、一年ろ組の個性には夏は少々辛い季節かもしれない。
 姉上の夢は、考えてみても淡くて掴み所がなくて、想像できそうでできなかった。
「常が夢の中にいる様なもんだからね」と、また頭の中の凄く姉上っぽい想像が、そう笑った。

 とてもとても長い夢だろうから、とてもとても良い夢であってくれたら良いと、それだけ、思う事にした。


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