咄、彼女について

□稀人・其の十一
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「良く分かんないけど、鏡子先輩がそんなに凄いんならなんで直ぐに解決ってならないの?」

 同室の友の、この疑問は最もかなあ、と夢前三治郎は思う。
 この場合の最もは、『目』や『耳』を持たないからこその意見だなと思った事も含まれていたが、そうチラッと思った途端に頭の中に父の恐しい顔が浮かんできて三治郎は慌ててその考えを頭から追い払った。

 我等が特別なのではない。
 慢心は目を曇らせる。此れは使いように寄って恩恵にも厄災にも成り得ると心得よ。

「……三治郎?」

 代わりに父の教えを頭の中で何度も繰り返し唱えていれば、黙りこくってしまっていた様だった。
 顔を上げれば、友、笹山兵太夫は筆を止めて、此方を見ている。
なんでもないよ、と、三治郎は笑う。

「えっとね。術式っていうのは破るのが結構面倒なんだよ」

「そうなの?」

「うん、術は細かい決まり事を守った上で成立しているもので、また逆にその決まり事に守られているんだ。だから無理矢理それを壊すなんてできない」

 兵太夫は筆の柄で顎をとんとんと軽く叩きながら何かを考えるような表情をした。

「んー、じゃあ、壊すのにも決まり事があるっていうこと?」

「そういうこと。後は、決まり事の隙間を突いたり逆手に取ったりとか、殆ど賭けみたいなもんだけど……ってまあこの僕の考えは、父さんからの受け売りだけどね」

「僕達が手伝える事ってある?」

 そう言ってくれた兵太夫を三治郎は嬉しく思う。
 思うけれど、その前に、と、三治郎は立ち上がる。

「何時も通り、楽しく過ごしているのが一番。設計図はできた?」

「後、もうちょっと」

 三治郎達は何時も通り新しいからくりを制作中だ。

「できたら見せてね。厠に行ってくる」

 行ってくるついでに結界の様子も見に行っておこうと、彼は思った。
 廊下に出て、頭を巡らせれば笑ってしまう程に大きな『何か』が、遠くの、鐘楼の方で争っているのが見える。

 最早此方の理解なんて及ばない感じだよなあと、三治郎は肩を(すく)めて廊下を歩き出した。



 その翌日である。
 一限目の授業が終わった教室に、件の『鏡子先輩』が現れたのだ。

「どうした、鏡子君」

 そう声を掛けてきた、三治郎達一年は組の担任の土井半助に対し、下坂部鏡子は前髪に隠れそうな眼を更に伏せながら「三治郎に用があります」と、ボソボソとした声で答える。

 相も変わらず、鏡子先輩は、土井先生の『後ろの方』が苦手な様だ、と、三治郎は土井の後ろに立ち睨みを効かせている清廉な武士と、睨まれながらなんとも陰鬱な表情をしている鏡子とを見比べ苦笑する。
 三治郎に言わせてみれば『この方』のお陰で、土井の周りはある種の安全地帯になっている。
 然し、そんな事は知らないだろう土井は、物言いたげな顔で、鏡子と三治郎を見比べ、それから確かめるような声で「三治郎、」と呼び掛けるのだった。

「はい、今行きます」

 今の忍術学園を取り巻く問題の発端である『天女様』。
 黄昏時に降り立ち、忍術学園へとやって来た彼女は、三治郎と鏡子の見立てでは『巫蠱(ふこ)の術の器』である。
 学園全体の空気は、三治郎の『目』では澱んだ様になっている。それが、色々なものをこの地に閉じ込めているのだ。
 三治郎の年ではまだ丸ごとの理解は出来ないものだが、つい先日、鏡子はその空気を『欲』と呼んだ。
 へらへらと、まるで笑うより他に無い様な表情でもって、『どうしようもなく生臭い欲』と言ったのだった。

 その『天女様』こと坂上桃花。
 分かりやすい部分では上級生を虜にし、侍らせ、他のことに手を着けさせなくした彼女について、教職員達に思うところが無い筈は無いのであろうが、今は全員、この下坂部鏡子に一任の構えを取っているらしい。
 学園長、大川平次渦正がそう定めたと、三治郎は鏡子から聞かされた。

 定められたのなら従うしかないのであろうが、土井や、もう一人の担任、山田伝蔵の表情を見る限り、納得しているかと言えばやはり話は別な様である。

 滞っている委員会運営は、五年ろ組の鉢屋三郎を中心に正気の者達が補充に入り何とか保っている状態であるが、やはり負担は大きい上に、当の鉢屋は少々不安定でやつれだしている、だから『あれ』に狙われたのだと、三治郎は思っている。
 そして、授業の遅れも深刻らしい。
 下級生である三治郎には詳しくは預かり知らぬ事だが、五年い組の担任、木下鉄丸が酷く暗い表情でおろおろと手持ち無沙汰に歩いているのを見たことがある。
 あの馴染みの怒りの四つ筋が無かったのであるから相当参っているのではないだろうか。

ー……確かに、早く解決してくれないものかと思うのは人情として仕方がないよね。鏡子先輩は、凄い人だけど分かりにくい人でもあるから、きっとそれを見ている周りは焦るばかりなんだろうな。ー

 と、そんな事をつらつらと考えながら
鏡子のいる廊下に立つ三治郎。
 『アホの"は"』と揶揄される成績不振な一年は組の一員ではあるが、幼い頃から父を含む山伏の大人達に囲まれ育ったせいか、妙に達観と老成した所があるのだった。

 そんな三治郎に、鏡子は静かに笑いかけ、本日の放課後に保健室へ来て欲しいのだと言う。

「やはり、餌を絶たなけりゃ話にならないね。気は進まないがやるしかない、数馬とのあれ、頼めるかい」

 鏡子は、『それら』について話す時、五歳も年下の三治郎に対して、まるで対等であるかの様な雰囲気である。
 それが、自分の事を、自分の『目』や『耳』や『技』を信用してくれている事に他ならないのをしっかりと理解している三治郎は、鏡子の言葉に、しっかりと頷く。

「鉢屋先輩の件で試してみたので、きっと大丈夫だと思いますよ」

 そう何時もの様に笑う三治郎の答えに、鏡子もまた、
頷きを返すのだった。

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