咄、彼女について

□稀人・其の八
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 同輩の部屋を訪ねようと、そう思って向かっていた。
 そうして、忍たま長屋の同輩の部屋の前に辿り着けば、その部屋の前の廊下に腰を下ろしているあの人がいて、俺は思わず角の柱に貼り付いく。

 まさか、予見されていたのか。
 あの人なら、有り得そうだと、俺は目だけをあの人に、くのいち教室上級生、下坂部鏡子先輩へと向ける。

 庭に足を下ろして座る鏡子先輩の前に小さな人影が立っている。
 僧服を着た小さな子供だ。
 金楽寺からの御使いだろうか。
 その小僧と何事かをひそひそと話している鏡子先輩。

 会話の内容は此処からでは良く聞こえない。
 俺の目は無意識にすがめられている。
 あまり愛想の良い質という訳でもない俺がこういう顔をすると「怖い顔すんなよ」と俺の同輩は笑う。
 俺は、鏡子先輩の背後にある部屋の戸に目を移す。其処には俺の同輩の、竹谷八左ヱ門がいる。
 なんで隠れてしまったんだろう。此れでは出辛いではないか、俺は胸中で密かに溜め息を吐いた。

 ……文次郎に、な、

 ふと、そう聞こえて、俺は「え」と、再び鏡子先輩の方へ目を戻した。
 鏡子先輩は懐から何かを包んでいる懐紙を取り出して、その小僧に渡していた。
 掌程の大きさのものだ。いったい何なんだろうと、俺が良く目を凝らした瞬間、瞬いた、その一瞬で、小僧の姿が消えた。
 ぱっ、と。
 最初からいなかったかのように。

「えっ、」

 先程よりも大きな声が出てしまった。
 鏡子先輩の目が此方を見る。
 柔和に感じない事もない垂れ目がちな相貌がきゅうっと細くなるのを見て、俺は観念して柱から離れた。

「久々知かい。どうしたよ」

 どうした、は、此方こそ言いたい事である。
 何故、八左ヱ門の部屋の前にいるのか。
 さっきの小僧は何なのか。
 潮江先輩に何があるのか。
 諸々の言葉が俺の唇の内側でもぞもぞとしたが、鏡子先輩の不遜(ふそん)に不審な笑みを見ていれば、多分何を言っても俺の納得できる答えは得れない様な気になって、俺は、結局、「八左ヱ門の見舞いに来ました」と用件だけを端的に伝えるに止まったのだった。

「あや」

 鏡子先輩は、独特の感嘆符を溢しながら、目を微かに見開いた。

「天女様のお側にいんでも良いんかね」

 その言葉に、少し胸がざわりとする。

 天女様。タソガレドキから、この鏡子先輩と、六年い組の立花先輩が連れて来た美しいあの人。
 天から落ちてきたのだという事も頷けるような愛らしさ、優しい声。
 俺達のツボを良く心得ているというのか、俺が望む言葉や仕草を惜し気もなくくれるあの人。
 彼女の側にいると、何処か頭がふわふわんとして、色々な悩みや苦しさが些末に思えてくるのだから不思議だった。なのだが、

「見舞いなら、一人で来いと先輩達が仰ったじゃないですか」

「うん……?言ったかねそないな事」

 いや、言ってはいない。直接に言葉には出していないが、一昨日の立花先輩と鏡子先輩の態度を俺がそう解釈しただけだ。
 分かっているだろうに、鏡子先輩は(とぼ)けた表情で俺を見るのだった。
 そう、立花先輩といえばだ。

「鏡子先輩、立花先輩と親しかったですっけ」

 正直言って、一昨日のあれは衝撃的だった。
 鏡子先輩を抱き寄せる立花先輩もだが、何より、立花先輩に汐らしくしなだれかかる鏡子先輩等、俺達には有り得ない光景だったから。
 それこそ、俺の同輩で例えるなら、あの名物コンビの一人、三郎が、雷蔵ではなく七松先輩や潮江先輩に付きまとう様になるくらいに有り得ない事だ。

「そりゃあ、長年共に学んでいりゃあな。なんだい、天女様に探りでも入れられたか」

 図星だ。
 任務や課題でも無い限り意味の無い隠しだてを好まない俺は正直にそうだと頷いた。

「ふぅん、で、なんて答えたよ」

「鏡子先輩は食満先輩に恋慕していらっしゃるので、それは有り得ないと答えました」

 また正直に答えた。
 鏡子先輩の目が、先程よりも大きくカッと見開かれる。そして次の瞬間、弾けた様に笑いだした。

「あっはははっ!はははははっ!!そいつぁ良いや!」

 鏡子先輩はひいひいと涙まで浮かべて一頻り笑ってから、やがて、ふうっと大きく息を吐く。

「…………八左ヱ門の見舞いだっけか」

「……あ、はい」

 大胆とも言えそうな程の見事な大爆笑に呆気に取られた俺は、呆けた声で答えた。
 鏡子先輩は笑ってなどいなかったみたいな、何時もの不遜な白い顔になっていて、ゆらりと立ち上がる。

「引き留めて悪かったね」

 鏡子先輩は存外に背が高い。
(わず)かに見上げる位置にあるその笑みを見ながら僕は「いえ」と、首を横に振る。
 煙を掴むようというのか、相変わらず、良く分からない方だと思う。
 件の、六年は組の食満留三郎先輩は、俺と同じ様に天女様に魅了されている。だというのに、この人は全く堪えている様子が無いのだった。

 魅了……。

 ふと浮かんだその言葉に違和感を覚えた。
 俺は、天女様の側に集う面々を反芻する。
 其処にいた一人の顔に、更に違和感が深まった。

 そうだ。これだって、有り得ない。

 潮江先輩が、おなごに(うつつ)を抜かすなど。

 ああ、そうだ。現を抜かすと謂えば、俺の方こそ、

「……てやると良いさね」

 鏡子先輩が、何かを言った。


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