咄、彼女について
□稀人・其の六
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よくこの空気で食べれるものだ。と、思っていたら目が合った。ので、仕方無く僕はその人の側へと膳を手に向かう。
「よぉ、左近」
酷い顔色だねぇと、常何処か青白い顔の鏡子先輩にだけには言われたくない発言に僕は曖昧に頷きながらその隣に腰を下ろす。
「私も相席して構わんか」
僕が腰を下ろして直ぐにやって来たのは六年い組の立花仙蔵先輩だ。
鏡子先輩は青菜の白和えをもりもりと頬張りながら、「構わんよ」ともごもご呟く。
くのたま上級生なのに淑やかさなどあったもんじゃない姿だが、下卑た感じには見えないのが不思議な所である。
「構わんが、あれはほっとくんかいな」
「朝ぐらいは勘弁してくれ」
立花仙蔵先輩がそう肩を竦めた、その先、塊の様になった、二藍、群青、松葉の制服達。
その中心で煌めくような愛らしい笑みを振り撒くそれはそれは綺麗な女の人。タソガレドキからやって来た『天女様』。確か、名前は、阪上桃花といったろうか。
天女様を囲み談笑する先輩達の顔はなんというか全員しまりの無い、良く言えば心底幸せそうな笑顔である。
その輪の中で、天女様の隣を陣取る伊作先輩を見て僕は深々と溜め息を吐いた。
「食わねえのかい」
相変わらずもりもりと食事を頬張る鏡子先輩を僕は横目で睨む。
食欲なんてあって堪るか。
「『あれ』を眺めながら、良く食べれますよね」
鏡子先輩はにんまりと笑いながら僕が『あれ』と呼ぶ一団に目をやる。
「可愛いじゃないか、あの留三郎の締まりの無い阿呆面」
「ああ、可愛いねぇ」と吐息混じりに呟くうっとりとさえ見えるその眼差しに僕は失礼ながら薄ら寒いものを覚える。
「痘痕も笑窪というわけか」
立花先輩も苦笑しているが、僕に、そして恐らく鏡子先輩にも見えてるだろう『あれ』は痘痕なんて他愛無く思えるような光景だ。
端的に言えば、しっちゃかめっちゃか、地獄画図。
天女様の隣で幸せそうに微笑んでいる伊作先輩の、濁った目。
それに引き寄せられているもの達。
首の無いもの。
腕の無いもの。
目の瞑れたもの。
ぐちゃぐちゃに捩れて良く分からないもの。
ただただ真っ黒のもの。
もう見るからに良くない気持ちの悪いもの達がうぞうぞと蠢きながら、呻きながら取り巻いている。
あろうことか、それらは伊作先輩の肩を半分覆い始めていて、僕はぎりっと歯噛みした。
保健委員会の僕らと、食満先輩で合わせてようやく守れるそれらの箍は、完全に外れてしまっている。
食満先輩も食満先輩だ。
悪いものに人一倍敏感なあの人がなんでこの惨状に気づかないんだろう。それも、天女様の力なのだろうか。
一方でだ、と、僕は輪の一角に目を移す。
其処にいるのは七松先輩だ。
あの信じられない威力は未だ健在なのか、七松先輩の周囲に寄ってきたもの達は尽く潰され消されていっている。
本人が気付いていないのがまた恐ろしい。怨みの声をあげながら塵芥にされていくものとそれに釣られているのかまた寄ってくるものが入り乱れて、天女様と先輩方の周囲はどす黒くさえ見えた。
その中から幸せそうな楽しげな談笑は絶え間なく聞こえてくる。
その合間から聞こえる呻き声。
一番酷いのは、伊作先輩の背中に張り付くようにしているやつだ。
灰色の様な茶色い様な身体に腕と首が有り得ない方向に捩れた人間みたいなもの。
虚ろに開いた口からはずっと「かかかかか」という形容しがたい声が聞こえてきている。
かかかかかかかかかか……
かかかかかかかかかかかかかか……
僕は喉の奥から込み上げてくる酸っぱいものをなんとか堪えて茶を一口飲む。
お残しは出来ないからとなんとかかんとか口に運ぶ朝食は、おばちゃんのご飯なのにまさしく砂を噛むような味がするのだった。
「いたっ!!鏡子先輩っ!!!」
「ぶふっ!」
いきなり飛び込んできたその声と机を叩くその手に、僕の喉に味噌汁が引っ掛かり盛大に噎せた。
「あやぁ、孫兵」
三年い組の伊賀崎孫兵先輩は、噎せている僕も、ぎょっとしている立花先輩も無視して鏡子先輩の腕をむんずと掴む。
「なに呑気に朝御飯なんか食べてるんですか!鏡子先輩の癖に!!」
「お前、私をなんだと思ってるんだい」
呑気な声でそう返す鏡子先輩に対して、伊賀崎先輩の顔色は蒼白で、つり目がちな目は神経質に震えていた。
「良いから早く来て下さい!!……っ、竹谷先輩がっ!」
震える目に水の膜が張り出すのが見えた。
ふと『あれ』の輪から視線を感じる。五年の先輩達が此方を見ていた。
鏡子先輩は味噌汁の最後の一口をずっと飲み干すと膳を手に持って立ち上がる。
「三治郎は、」
「部屋にいます!」
「あいあい。落ち着けよぅ、孫兵」
よしよしと伊賀崎先輩の頭を撫でて、それから、鏡子先輩はきろんと僕を振り返る。
「食い終わったら、来てくれるかい?仙蔵も」
「ああ、分かった直ぐに行く」
僕は溜め息を吐いた。巻き込まれ不運にはもう慣れたけれど。
「分かりました」
仕方無く、てきぱきと味のしない食事を口に運ぶのだった。
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