咄、彼女について

□稀人・其の五
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 僕の級友である夢前三治郎は山伏の息子で、だからなのか、僕には見えないものを見て、聞こえないものを聞く事ができた。

 三治郎はそれを隠す事もなく明け透けにあの明るい笑顔で言ってのけるものだから、僕らにとってはそれは当たり前の日常の一部になっている。何より、三治郎は僕達の仲間で友達だ。

 そんな三治郎が『別格』だと、何時も言っている人。
 それがくのいち教室の上級生、下坂鏡子先輩。
 今の学園に起きている天女様に関わる問題についても鏡子先輩がなんとかしてくれる筈と、三治郎は言っていた。

 現に、今、鏡子先輩がいるこの部屋はざわざわとした胸騒ぎも鈍い頭痛もしない。
 鏡子先輩は不思議な人だ。  でも、今の僕にとっては目の前の光景の方が数百倍不思議だった。

「やれやれ、久し振りだなぁ、ぬし」

 そう、閉じた目を開けて、尾浜先輩は言った……いや、

「尾浜先輩、じゃない……」

 思わず僕が呟けば、鏡子先輩はふっと此方を見て口許に笑みを浮かべる。

「勘が良いね。庄左ヱ門」

 鏡子先輩の隣で、僕をじろじろと見てくる目は尾浜先輩の顔に着いているのに全く知らない人の様に見える。

「……ああ、このガキは彼奴の後輩じゃな」

 そう言う声の響きも、何処か攻撃的で意地の悪そうな雰囲気で、何時もの少し適当だけれど優しい尾浜先輩とは別人だ。
 僕の横に座る彦四郎が、僕の袖をぎゅっと握る。

「貴方は、誰ですか」

 僕は聞いた。

「ちょっ、庄左ヱ門!」と、彦四郎が慌てた声で袖をぐいぐいと引いてきたけれど、多分、其処まで慌てる状況では無いと思う。

 何故なら、この場に集まる、鏡子先輩に呼び出された先輩達は皆、落ち着いた表情でその尾浜先輩に見えない尾浜先輩を見ているからだ。
 一方で、一年生達は皆驚いた様子ではあったけれど、今もまだ動揺しているのは隣の彦四郎くらいで、何より三治郎が興味深いものを見たような、新しいからくりを思い付いたような少し楽しげな目をしている。

 尾浜先輩に見えない尾浜先輩は一瞬きょとんとした顔をした後に、くしゃりと相好を崩した。

「成る程な。勘右衛門の隙間から見ていた通り、利発で聡いの……儂は、『左』とでも呼んでくれ」

「ひだり、さん……?」

「初めて見る顔が幾つかあるなぁ、ぬし」

 左さんは、そう鏡子先輩に声を掛けた。鏡子先輩は「まあ、久しいからね」と小さく頷き、僕ら下級生達を見渡した。

「こいつは、勘右衛門の中にいる奴さね」

「中に……憑き物ですか?」

 三治郎がそう問えば、鏡子先輩は曖昧に首を横に振った。

「そうじゃないとも言えるし、そうとも言えるねぇ。『左』は、私との約束で普段は出て来ない。呼ぶのは、そうさね、二年ぶりくらいかねえ」

「……んで、久方ぶりに出て来た訳だが、なんじゃこりゃ」

 左さんはそう言って鏡子先輩をじろりと睨む。

「酷い匂いじゃ。何処ぞの地獄だえ、此処は」

 じろりとした眼は今度は部屋の扉の方に注がれる。
「囲んでおるのぉ」と呟いた。
 僕は少しぞわりとする。

「伊作の箍が外れちまったんだよ」

「あの()(わら)かいな。なんでまた」

「傾城の天女様に取り憑かれちまってねえ」

「天女様」

 左さんは片眉を上げて難しげに口許を歪めた。

「化物の間違いじゃあるまいかのぉ」

「まあ、なんでも良いさね」

 そう鏡子先輩は短く言い捨てる。

「左、頼みがある」

「無償という訳にゃあいかんなあ」

 きり丸みたいな事を言うなと、僕は場の空気に合わないことを思った。
 鏡子先輩は深々と溜め息を吐く。疲れているみたいなげんなりした顔は珍しい表情に見えた。

「わぁっとるよ爺さん。極上の酒を飲ましてやらぁな」

「肴も着けんかいな」

 そう左さんは鏡子先輩の腕を掴む。
 鏡子先輩は変わらずげんなりした顔でその手を見下ろした。

「それは、事が上手く収まれば、だねぇ」

(よろ)しい、聞かせて頂く」

 ぱっと手を離した左さんは、にんまりとした笑みを浮かべるのだった。


※:()(わら)……神霊を宿して神託をつたえる童児の事。(かんなぎ)依巫(よりまし)とも言う。


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