咄、彼女について
□稀人・其の二
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「とめさぶ」
「俺は嫌だぞ!!」
顔を見もせず声を聞いただけでこの反応。
正に条件反射だな、と、学園の演習場を土煙を上げる勢いで走り去る同輩の背中を眺め私はいっそ感心するのであった。
私と共に取り残されたもう一人の同輩の少女は、「あやぁ」と間の抜けた感嘆符を溢しながら頭を掻いた。
「旦那に逃げられたぞ鏡子。どうするのだ」
少女、下坂部鏡子は重たげな黒髪の下からきろりと目を動かして私を見た。
おなごだてらに背丈のある彼女は私と丁度目線の高さが同じである。
胡乱な相貌はきゅっと細くなり、ゆわんと表情を崩し、笑みを浮かべた。
「仕方ねぇ。仙蔵で手を打とうかね」
「間男は御免被りたいな」
ことある毎に、件の遁走せし男、六年は組の食満留三郎を供にと連れ回す鏡子にしては珍しくあっさりとした退き方だと思う。
留三郎は何処かと聞かれた折にはてっきり何時もの『掃除』だと思っていたのだが。
「どの道、仙蔵を連れて行くつもりだったのさ」
留三郎が落とした棒手裏剣をひょいと白い指が拾い上げる。
「ほう」
鏡子は相も変わらず表情が読めないが、恐らく今回は、留三郎を供にする気が進まなかったという事かもしれない。
そして私を呼ぶつもりとは、
「……憑き物か」
「あや、仙蔵はほんに勘の良い」
まだ不確定だがね、と、付け加えた彼女は手をぞんざいに振るった。
無造作も無造作な動きであったが、カンと軽い音。十間先の的を穿つ棒手裏剣を見た私は小さく鼻を鳴らす。
留三郎曰く、鏡子の成績は中の下だそうだが、中々どうして、六年間をこの学舎で過ごしているのは特異性だけが理由でも無いらしい。
「タソガレドキに妙なんが落ちてきたそうな」
出て来たその名に私は目を眇める。
「伊作は呼ばんのか」
「呼べるわけねぇだろぅ」
へらりと、色の薄い唇が歪んだ。
どうやら本格的に憑き物の類らしい。
「小平太なら潰しかねんし、長次と八左ヱ門は優し過ぎる。文次郎は話にならん。勘右衛門は、まあその内働いてもらうさ。仙蔵はおなごの扱いもよぅく心得てるし、丁度良いわなぁ」
『おなご』と言った。
話が見えないが、此奴の中では既に道筋は定まっているのだろう。
然し、と私は口を開く。
「『眼』は無くても良いのか」
「私一人で充分さね。精々余計なもんを寄せないでくれるだけでも助かる」
「いるだけだがな。皆目見えも聞こえもしない私には何時も何が起きているのやらといった感じだ」
鏡子は「お前はそれで良い。」と、また、へらりとした笑いを浮かべる。
※:十間……18メートルくらい
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