咄、彼女について
□稀人・其の一
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タソガレドキ忍軍忍組頭、雑渡昆奈門は、来訪中である忍術学園保健室の戸を開けた人物を振り返り、申し訳程度に、然し、この男にしては至極愛想の良く見える表情を細めた目に浮かべた。
「あ、鏡子。ちょうど呼びに行く所だったんだよ」
雑渡御執心の保健委員会委員長、善法寺伊作が、そう戸口に立つ人物に声を掛ける。
外からの陽射しを背に受け、沸き立つ影法師の様な年の頃は十五、六。
花の盛りも盛り切ったかの様な若い娘。身に着けているのは梅鼠色の忍装束。女忍だ。
くのいち教室の数少ない上級生、下坂部鏡子は、夜を固めた様な黒く重たげな髪の下の磁器の白さを放つ面輪を僅かに歪める。
笑みに近いものだろうが、年頃の娘らしい華やかさよりも胡乱さが先立ち、当人の瑞々しい程の若さとの奇妙な不均衡さが見る者を落ち着かない気分にさせる。
鏡子は、これもまた、胡乱な愛想笑いを浮かべている雑渡に無言で近づいていく。
その手には刃の無い長柄。雑渡が身構える寸前に、とんと軽く、その背後の床を叩いた。
「なんでこんなくっ付けといて平気なんでしょうねぇ」
色の薄い唇から赤い舌をちらりと覗かせて呟いた鏡子は、そのままどっかりと、雑渡の向かい側に胡座をかいた。
「お前もだよぅ。伏木蔵。いくらはね除けれるからといって、旦さんのお膝に乗るたぁどういう神経してんだい」
血の通わぬ人形めいた容姿で、放つ口調は蓮っ葉な浮かれ女の様。それがまた不均衡な印象を加えさせている。
雑渡の膝の上に座る一年ろ組の保健委員、鶴町伏木蔵はにこぉっと小さな口で弧を描いた。
「だぁって、すっごいスリルじゃないですかぁ」
「お前は伝七とはまた違う意味で意地が強いね」
肩を竦めた鏡子は雑渡を見る。
その視線に、雑渡は僅かに背中を走るものを感じる。藪をつつけば蛇から睨まれる。怖いもの見たさに近い感覚。
「何か、いましたか。私の後ろに」
雑渡が聞けば、鏡子はふにゃりと相好を崩した。
「言ったでしょう。何故、平気なのかって。私は旦さんが今の今まで生きてらっしゃるのが心底不思議なんですよぉ」
後、と、鏡子はきろんと目だけを動かして隣の善法寺を見る。同じ様に見た伏木蔵にも目を向けて微かに息を吐いた。
「旦さんがいらっしゃると調子乗る奴も珠に出てきやがんのが厄介ですよねぇ。なんで取らねぇんだ伏木蔵」
「僕は基本触れないんですってば」
「え、なに?なんかいるの?」
きょときょととする、善法寺は、やおらけほけほと小さく咳き込みだす。
「意識しちゃ駄目だよぅ、伊作。気付かれたと思って焦ってやがる」
「え、っけふ、な、げほっ、」
どういう事かと問おうとした善法寺は先程よりも酷く咳き込んだ。
鏡子はぞんざいな動きで、善法寺の首もとに手を伸ばし、空を掴む仕草をする。
微かに眉をしかめながらぐいっと掴んだ手を引いた。
「だいじょうぶだよ。ちゃんと息しな」
汚いものを払う様に手を振りながら、鏡子が言う。
善法寺は、喉を擦る、咳は嘘の様に収まり、ふうふうと息を吐いた。
「な、何がついてたの?」
「聞きたいかい?」
尚も忌々しげな手付きで手を振っている鏡子である。
「あ、やっぱり、い、」
「赤黒い生爪が大量にびっしり絡み付いた多分女の白髪、長い奴」
「良いって言ったのに!!!」
聞かなきゃ良かったと叫びながら床を叩く善法寺に、伏木蔵がまたも凄いスリルと微かに笑う。
雑渡は、何とも言えない曖昧な笑みを浮かべた。
※:梅鼠色……灰がかった鈍い赤色
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