咄、彼女について

□高天、翔行き・其の三
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 暗い。

 夜目の訓練も積んでいる俺が、息をするのすら躊躇(ためら)う程だ。
 やや前方を歩く鏡子先輩の、さくさくと聞こえる柔らかな足音と時折聞こえるすぅとした息遣いが幾分か安心を与えてくれる。

「明かりがある方が、」

 三木ヱ門の声は橙色に弾ける様に聞こえるけれど、鏡子先輩の声は、

「闇はいっとう、深ぁく見えるね」

 月明かりが染み入るみたいに聞こえる。
 じわりと光って端から消えていく様なその声に、俺は「そうですね。」と答えた。
 俺は手の中で光る蛍袋を見下ろす。その周りはきんと明るく、少し目を離せば吸い込まれそうに暗い。

 さくさくさくと、二人分の足音が闇夜に響く。
 山を、登っている筈だ。だけど、あまりにも周りが暗すぎて、今は登っているのか下っているのか、それとも平地を歩いているのか、段々と曖昧になってくる。

「少し前を見るんだ」

 また鏡子先輩の声がじわりと響く。

「足元ばかりを見ていたら、転げてしまうよ守一郎」

「はい」

「転げたら喰われちまうよ守一郎」

「え」

 ぎょっとする俺だ。ぞわぞわぞわと背筋が寒くなる。
 然し、くつくつと笑い声。
 鏡子先輩が可笑しげに笑っていた。

「からかったんですか」

「さぁて、ねえ」

 きゅうっと細まる目を此方へ向けて、腕を掴まれた。
 不意に冷たいそれに、思わず「ぅお」等と叫びかけた俺はそのまま、鏡子先輩に引かれて道の脇に行く。

「鏡子先輩、いったい、」

 俺の言葉は途中で飲み込まれた。何か来る。

 ……馬だ。無数の蹄と、車の軋む音もする。

「頭を下げな。お通りになるよ」

 俺は慌てて頭を下げた。蛍袋は何となく胸元に引き寄せる。胸に当てたそれが震える程に俺の心の臓はどくどくと煩い。

 視界の端に、山道を下っていく馬の蹄と、牛車の車輪が見えた。
 然し、奇妙な事に馬やそれに乗るものの息遣いや、匂いは無い。

 じわりと汗が浮かぶ。
 鏡子先輩は俺の腕をしっかと掴んだままだ。

 やがて、最後の馬の尾が視界の端から消えていけば、一瞬の間の内に「もう良いよ」との声が聞こえる。

「い、今のは何ですか?」

 息も絶え絶えに聞く俺に対して、鏡子先輩はちょんと唇を尖らせて首を傾げる。

「さあ?分からんよ」

「分からん……?」

「だって、頭を下げてたしねぇ。見てないもん」

 あっさりとそう言った。俺はちょっと呆気に取られる。
 鏡子先輩がまたさくさくさくと歩き始めるので俺は慌てて追い掛けた。

「あの、じゃあ、なんで頭を下げろって?」

「牛車に馬とくりゃあ、それなりの位のお方だろ」

 此方が避けるのが道理だよ、と、またあっさりと言うのだった。

「さあさ、見えてきた」

 なんだか、良く分からない人だと、そう思っている内に、俺達は開けた場所に出るのだった。

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