咄、彼女について

□高天、翔行き・其の一
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「お、見ろよ守一郎」

 四年生の実習の帰りだ。疲れた身体を引き摺りながらの夕闇の中に、ぽんと弾ける橙色(たちばないろ)の様な声がする。

 級友の三木ヱ門が、煤だらけの横顔の中で色の薄い目を見開いている。
 視線を追えば、夜空。

 あ。と、俺の口から声が飛び出た。

 墨染めの布に一面に白砂や石英の粒をばら蒔いた様な空。
 その白砂の一粒がついっと流れるそれから、また一粒。

「星走りか」

「良くない事が起きるかもしれんな 」

「綺麗だな」

 俺と三木ヱ門が言葉を発したのはほぼ同時で、三木ヱ門は、はあ、と整った眉を潜める。

「だから、綺麗だな」

「お前なあ、星の走りは凶兆だぞ。彼の諸葛亮が逝去した折りにも大きな星が落ちたんだからな」

 三木ヱ門は呆れた様に首を振りながら言う。
 見てきたように言うんだなと笑えば、ますます顔を歪ませる。

「止めろよ。男前が台無しになる」

「守一郎は本当に呑気だ」

「そうかあ」

「ああ」

 星走りが凶兆と言われている事くらい、俺だって知っている。
 ただ、今。級友と二人で、概ね上手くいった実習の帰り道で、疲労とそれ以上の達成感が骨身にずっしりと染みた夕まぐれに見るそれは、やはり滅多と無い美しく不思議なものに俺の目には映ったのだ。

「腹減ったぁ」

「僕はそれより風呂に入りたい」

 そんな他愛の無い話をしている内に、学園の門がちらちらと林の向こうから見えてくる。

 長屋に帰れば、先に戻っていた級友達が味噌うずを作っておいてくれたので、それをどうやら帰還が最後だったらしい俺と三木ヱ門の二人で分け合って食べた。
 それから三木ヱ門は風呂へ行き、俺はどうにもこうにも眠かったし、まだ暖かい夜だったので井戸の水で申し訳程度に泥と汗を流してそれぞれ寝入った。

 布団を整えるのすらもどかしく、ぞんざいに広げた上に倒れこめば、あっという間に沈み込む様に瞼は落ちていく。

 口の端から、ぅああ、と、低い呻き声が勝手に出た。体が沈んでいく様な、ふわふわと浮き上がっていく様な感覚にもぞもぞと寝返りを打つ。

 閉じた瞼の裏にちらちらと光が飛んでいる。
 此所にも星走り、と、俺は独りくつくつと笑う。

 空を翔るのはどんな心持ちなんだろうか。

 と、そんな事を思いながら意識を手離していく。夢は、見なかった。


 夢を見ないぐらいにぐっすりと寝た。だから、ふと、目が覚めた時は夜が白む前であったけれど頭はスッキリとしていた。

 起きようか、もう少しだけ寝ようか、布団の中でぼんやりと考えていた俺は、ふと違和感に気づく。

 部屋が妙に明るい。
 いや、部屋と言うより、枕元が明るい。
 なんだろうかと、身体を起こした俺の口から、ぬあ、と、変な声が出る。
 もしかしたら寝惚けてるのかもしれんと自らの頬を叩いてみる。

 見たことないものがそこにあった。

 綺羅綺羅と、まるで火の粉や猫の目みたいな、掌に収まりそうな三寸ばかりの光が、床から三寸ばかり上をぷわぷわと浮かんでいる。

 俺はもう一度頬を叩く。じんと痛かった。

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