咄、彼女について

□御形の庭・其の四
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「さて、じゃあ最後は土井先生の所か」

 俺がそう鏡子に問えば、うむともむうとも聞こえるなんとも曖昧な返事が返ってくる。

「行くんだろ」

「ああ、行くさ。行くけどね」

 鏡子はもにゃもにゃとそう言いながら重たげな前髪を掻き上げる。
 ぎょっとする程に白い額が覗いた。

「あの人は、やっぱりちっと苦手だよ」

 手を外せばぱさりと落ちる黒髪に陶器を思わせるその額は隠れた。むすりとした表情で目を伏せる。

「あの人っつうより、あの人の後ろの方だけどねえ、いっつも睨んできやがるんだわ」

「あー……」

 何と無く納得する。
 まあ、あれ、いや、『あれ』なんて呼ぶのは畏れ多い雰囲気がある、『あの方』が土井先生のあの清廉とした雰囲気の一因なのは言うまでも無い気がする。
 『あの方』にとっては鏡子は不浄の塊の様に見えるのだろう。

「あれも結構特殊な例だわな。安藤先生もなかなかだけども」

 その名前を口に出して鏡子はにやりと笑う。
 安藤先生はある意味では鏡子のお気に入りだった。くつくつと思い出し笑いをしていた鏡子だったが、やがてふと笑みを納める。

「親子の情ってなあ、厄介だ」

 そうぼそりと無感情な声で呟いた鏡子は仕方無いとでも言いたげに肩を竦めて、職員長屋へとスタスタと歩き始めるのだった。


 学園長先生からの指令だけあって、既に先生方には通達がいっていたのだろう。
 最初に行き逢った日向先生に土井先生と会いたいと言えば、何も問われず直ぐに此方へと案内された。

「ありがとうございます。へいちゃん、弟の平太が何時もお世話になっています」

「ああ、平太君は気弱な所はあるけれどなかなか筋が良いな」

「それは、姉として誇らしい限りです」

 廊下を歩きながら日向先生と談笑する鏡子は別人の様に常識的な雰囲気で何と無く可笑しみのある光景だった。
 様々な顔を持ち、それら殆どが胡乱な女だが、反して唯一雑じり気無く穏やかなのが平太の姉としての顔だという事を、俺は平太が入学した春の折りに気づいた。

 一室に通され、暫くしたら土井先生が現れた。
 普段よりやや神経質な感じのする微かな足音を響かせてやって来た土井先生が部屋の戸を開けた時、鏡子は反射的な動きで目を逸らす。

 土井先生の背後では、頑健にして清廉潔白な雰囲気を纏った中年寄りの武将が鏡子を険しい顔で睨み付けていた。

 俺は『あの方』は然して苦手ではない。
 『あの方』の周りは余計なものが少ないから米神が痛みを覚えることも滅多と無い。

 一方で鏡子は居心地が悪そうにもぞもぞと姿勢を正しながら、観念した風情で土井先生に目を向ける。

 あくまで、背後の『あの方』とは目を合わせまいとしている様子は先程の日向先生との談笑風景よりも可笑しかった。

 常、飄々としてのらくらと(うそぶ)き、人を小馬鹿にしている様なこの女の数少ない弱点だと思えば、性悪だが笑いが込み上がるのも無理は無いのではなかろうか。



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