咄、彼女について
□御形の庭・其の二
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早く来いと促されて漸く保健室に入った俺の顔を見て、同室の善法寺伊作は苦笑いを浮かべる。
保健委員会も既に解散していた様で、部屋には伊作一人だった。
道理で、と、俺は深々と溜め息を吐く。
「すまない、留三郎。何か見えたかい?」
「気にするな。同室だからな」
ある程度のものには慣れてしまっているし、嘗ての事を思えば大分マシにはなったとは思う。
「鏡子と留三郎が一緒にいるって事は、『掃除』かな?」
伊作は俺達の顔を見比べて、そう遠慮がちに口を開いた。
「御明察」
「……今回で最後だ」
へにゃりと笑う鏡子と、苦々しく言う俺に伊作はまた苦笑を浮かべる。
「摂津きり丸の臨床はしたかい?」
単刀直入の鏡子の切り出しに、然し、伊作は予想はしていた様で静かに頷く。
「寝ているだけだよ。呼吸も落ち着いている、だけど、」
「だけど?」
俺が促せば、戸惑っているかの様に形の良い眉が寄せられる。
「三日間もそのままなのに、なんの衰弱も見られないのは不自然だ。水と果物の汁を唇に湿している程度なのに……後、移動が、できない」
「は?」
伊作は、どう言えば良いのか、と、頭を掻きながら、訥々と続ける。
「身体が物凄く重いんだ。まるでその場に縫い付けられてるみたいに、それでも無理矢理保健室に移動したんだけど……」
「自分の部屋に戻っていた。かい?」
鏡子の返しに伊作は神妙な面持ちで頷いた。
伊作が言うには、
きり丸を無理矢理保健室へと移した晩の事。いきなりふらふらと起き上がったそうだ。
「きり丸、起きたのかい?」
意識が戻ったと、最初はそう思い声を掛けた伊作だったが、様子がおかしい。
「きり丸?どうしたんだ?」
ぼんやりとした表情のきり丸は、伊作の声は耳に入っていない様で、そのままゆっくりと立ち上がり、覚束無い足取りで保健室から出ていこうとした。
「止めなかったのか?」
俺がそう問えば、伊作はふるふると首を横に振る。
「止めようとしたら、泣いたんだ……。声は上げなかったけれど、ぼたぼたと…………苦しそうに」
俺はその様子をふと思い浮かべる、ひとりでに眉間に皺が寄るのが分かった。
「それで、そのままふらふらと自分の部屋まで戻って、またぱたんと倒れて眠ってしまったよ。驚いた乱太郎としんべヱが直ぐに揺さぶって声を掛けたけど……」
そのまま伊作は口をつぐみ、部屋に沈黙が流れた。
「……お前は何ともないんだね?」
最初に沈黙を破ったのは鏡子だ。
奇妙に光る目を、伊作に向けている。
「え、うん。そうだね。さっき背中が痛かったくらいかな?」
この質問の意味は俺にも分かった。
伊作に『憑く』ものではない、という事は、それは、きり丸に執着しているという事だ。
なるほど、確かに今回は面倒なのかもしれない。
「きり丸が、眠ってしまう前に保健室に来たことは?」
この質問もまあ、分かる。と、俺は苦笑を浮かべる。
学園内の『掃除』において、伊作に『憑いて来たもの』に行き当たるのは良くある事だからだ。
「ああ、うん。あったよ。確か、風邪の引き初めで、咳止めの薬を処方したんだ」
当の本人は気づいているのかいないのか、あっさりとその問いに頷いた。
「記録は?」
「あるよ」
伊作はゆっくりと立ち上がり、棚から帳簿を取り出した。
「はい、これが治療記録」
差し出されたそれを受けとり、ぱらぱらと捲る鏡子の横から、俺も覗き込む。
其処には、生徒達が来た日付、症状と処方した薬や治療に着いて詳しく書かれてあった。
「ああ、あった」
鏡子の手が止まる。
其処に記載されている事に寄れば、きり丸が保健室に来たのは、今から四日前。調度眠ってしまう直前に当たる。
症状は、発熱と咳。
処方した薬は咳止めの薬草だ。
俺には然りとて変わった所は見受けられなかったが、文を慎重になぞる鏡子の指が、ある一文にぴたりと止まる。
処方薬の欄だ。
「……おぎょう。」
そう、俺にしか聞こえない様な小さな呟きが、鏡子の俯いた横顔の白い唇を震わすのだった。
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