咄、彼女について

□御形の庭・其の二
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 その少年は綺羅綺羅と目を輝かせて笑いながら田園の中を走っている。

 少年が伸ばす手の先には、此もまた綺羅綺羅と日の光に羽を反射して飛ぶ蜻蛉。


 こら、遊んでないで手伝いなさい。


 と、畑の方から少年を呼ぶ声。


「はあい!」


 少年は元気良く返事をし、野良仕事に勤しむ両親の元へと転がる様に駆け出した。

 柔らかに吹いた風が、畔の野花を揺らす。
 仕事歌が風に乗って少年の耳を揺すり、それに合わして、少年も軽く口ずさむのだった。













「さあて、行こうか。留三郎」

 肩を掴む手に、俺は最高にげんなりした。

 用具委員会終了後。後輩達も解散して、このまま流れて何事もなくばっくれる事ができるだろう……そう先程まで思っていた俺を殴ってやりたい。

 そんな考えが甘い事ぐらい、俺は学習すべきだ。

 そんな俺。六年は組の食満留三郎の肩をむんずと掴んでいる女。
 くのたま六年生、下坂部鏡子は、俺の渋面なんか知ったこっちゃねえとでも言いたげに、そのまま俺の腕を引いて歩き出す。

 肩にはいつもの棒術用の長柄、つっても数年前に、鏡子が勝手に用具庫の資材から持ち出した棒だ。

 鏡子本人言うところの『良い感じの棒』にも色々と面妖にして奇々怪々な話は尽きないが、それはまた別の話である。

「行くって、何処へ」

「保健委員会と、図書委員会、それと、土井先生……留めに摂津きり丸んとこって感じだねえ」

 いきなり本丸へと向かわない辺り、今回はかなりマシと言えるかもしれないと思う俺はこいつに大分毒されている。

「……節を揃えなけりゃあ、今回はちょっと面倒だ」

 俺の感情を読んだのか、鏡子はその重たげな髪の下に覗く眼をきろりと俺に向ける。

 見ように寄れば柔和な雰囲気の眼差しだが、その目の奥が何時も、まるで井戸の底に映る月の様にゆらゆらと奇妙に光っているのが俺には見えている。
 落ち着かない目だ、と、俺は然り気無く視線を外す。

「なんだそりゃ」

「留三郎はものを知らないねえ」

「知らなくて構わん」

 呆れた様なその声に憮然と答えれば、それに構わず、鏡子はずんずんと歩きながら話を続ける。

「あれらにはあれらなりの道理っつうもんがある。問題なけりゃあ構わず切り捨て御免だが、今回はきり丸が深入りしちまってっから、先ずは道理を探らんと、傷がついちまうよ」

 分かるような分からないような話をする鏡子の話を聞き流している内に、保健室の扉が見えてきた。


「よっ」

 鏡子が扉を開けた途端、俺は反射的に鏡子の腕を振り払い、その場から飛び退いた。
 物凄い汗が吹き出ている。米神が鈍く痛い。


「……あーあ。まぁた、変なもん連れてきちまってるね」

 鏡子が足で踏みつけている、先程扉から飛び出してきた形容しがたい物体。




 強いて言うならば手足が滅茶苦茶に捻れた人間らしきもの。


 ぎーっ、ぎーっ、ぎーっ、ぎーっ、

 と、喉が瞑れた烏の様な声が耳を引っ掻く。

 俺は、込み上げる吐き気を押さえた。

 もだもだともがいているそれを軽く踏みつけている鏡子は、眉ひとつ動かさずそれを見下ろしている。

 そのまま(おもむろ)に担いでいた棒を、えいという小さな掛け声と共にそれに突き落とした。

「切り捨て御免ってね」

 突き落とした所からあっという間に霧散するように千々に千切れてそれは消える。
 重苦しい空気は去り、俺の米神からの鈍い痛みもまた去った。

「よお、伊作。調子はどうだい」

 そうして、何事もなかった様に鏡子は保健室へと足を踏み込んでいく。

「やあ、鏡子。もしかして今、何かしてくれた?」

 背中が痛いのが消えたよ。と、呑気な笑い声が廊下に突っ立つ俺の耳に届く。

 もうたくさんだ。
 と、叫びたくなる衝動を、俺は、『後輩の為』と百回唱える事で全力で押さえるのだった。


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