咄、彼女について
□悲しいもの
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「今日は雨が降るから程々にしておけよ」
そう声を掛ける滝夜叉丸に僕は、うんとか、すんとか、まあ曖昧な生返事を返し、まだ何かをグダグダと言っている彼を置いて長屋を後にする。
「……雨」
縁側から顔を出して見上げてみる。
日に焼けて掠れた色の瓦屋根が、重た気な灰色の雲天を持ち上げようと踏ん張っている。
僕はちょんと唇を尖らせた。
多少の雨なら土が柔らかになるから掘りやすくて良い。
湿気でうねる髪が僕の頭を引っ張る感覚にぼりぼりと頭巾の上から掻く。
ぱらぱらと、砂が廊下に落ちた。
くいっと、肩に担いだ踏み鋤に微かな重み、振り返って、そこにいる人物に僕は目を瞬いた。
「おやまあ、鏡子先輩」
くのいち教室の下坂部鏡子先輩が、僕の踏み鋤に手を掛けて立っている。全然気付かなかった。
この人の気配は、なんというか、薄い。
「今日は止めておけ。綾部喜八郎」
ぞんざいな喋り方。
重たそうな髪から覗く垂れ気味の目が、じいっと僕を見た。
「雨が降るからですか?」
まあ、違うんだろうなあと思いながら聞いたら、やっぱり、「違う」と、鏡子先輩は首を横にふる。
「悲しいものを見る」
そう、ぼそりと呟く。
薄ら寒い風が吹き下ろしてきて、僕と鏡子先輩の髪がゆわゆわと揺れた。
鏡子先輩の口から聞かされるのだ、てっきり怖いものの話かと思っていた。
「悲しいもの」
「ああ」
鏡子先輩はゆっくりと頷いた。
いつもにこやかな人なのに、今、目の前にいるのは人形みたいな無表情だ。
「悲しいものだ」
厚い雲が、日の光を閉ざしている。遠くで、微かに雷鳴が聞こえた気がした。
「……気をつけまあす」
僕は踵を返し、踏み鋤を担ぎ直して廊下を歩き出す。
数歩、歩いて、ふりかえれば其処にはもう誰もいなくて、やっぱり鏡子先輩って気配薄いなあ、と僕はまた頭をボリボリと掻いた。
ざ、ざ、ざ、
踏み鋤の先が土の中に埋まる音が響く。
辺りの湿気が染み込んでいるのか、土は既に柔らかい。
そして、静かだ。
ざ、ざ、ざ、ざ、
僕は、ただ、黙々と土を掘り続ける。
ざ、
頬に雨粒が当たった。
土にめり込んだ踏み鋤の先に、何かが当たっている。
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