黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□年の瀬
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 当代の組頭は此処数十年に一度出るか出ないかの才覚をお持ちだが、如何せん、生活する上で身の回りを整えるという事においては悪い意味で人並みとは言えない方である。
 というのが、我々忍軍衆の認識ではあるが、どうやら最近は少し様相が違うらしい。

 本日は今朝から、年の瀬恒例の忍軍詰所煤払いである。
 例年ならば、組頭はのらくらと調子良く彼の忠臣高坂陣内左衛門殿に魔窟の様な書斎の掃除の殆どを任せて、御自身は魔窟の様な屋敷でごろごろのんべんだらり。煤払いの後半は山本陣内殿からガミガミどやされている組頭を横目に見つつの屋敷の大掃除というのが我々忍軍衆のお約束。
 だが、今年と来たら、組頭。朝も早い内から詰所へやって来て、自ずから書斎の整理を始め出されたのである。
 我々忍軍衆の驚きは筆舌に尽くしがたい。忠臣高坂殿などは青い顔で「御加減が悪いのでは……」とおろおろしていた。組頭は「それ寧ろ不敬だよねえ」とぼやいていた。最もである。

「ああ、(うずら)、ちょうど良いところに」

 そんな煤払いの最中、塵塚から戻って来た折りに組頭に呼び止められた。

『鶉』という私の通り名は、初任務の失態から来ている。
 詳細は割愛するが、端的に述べるならば、敵から逃れる為にうずらがくれをしていたらそのまま寝てしまった。というお粗末ぶりを、寧ろ豪胆であるとこの組頭、当時はまだ小頭だった雑渡昆奈門殿が笑い転げた事に端を発する。私が齢十四の頃の話だ。それから十数年経った今でも、当時の事を知らぬ後輩にまで悪気なく『鶉さん』と呼ばれている始末である。執拗に面白がってその名で呼び続けた組頭及び同僚達の揶揄多分の親愛と、それを強く拒まなかった私の、うずらがくれで寝こける程の呑気ぶりが効を奏したのだろう。

「燃やす前の確認を手伝ってはくれまいか。あまりに多くて一人でやるのにうんざりしていた所でね」

 庭に出された筵の前に座り込んだ組頭。その筵と背後の縁側に詰まれた大量の書簡や綴りや巻物。筵に置かれたものが燃やす方だそうだ。謀略策略を担う忍軍は記録等は基本的に残さない、とはいってもどうしても幾つかは積み重ねってしまうのである。
 色々とキナ臭い物事を背景にしたそれら、残す方は少ない。二つの書類の山は縁側の方が幾分か細やかだ。此処から更に低くなるだろう。
 手伝いを了承した私は、縁側の山の書類を一つずつ確認していく。残す残さない等の微妙な事情が分かるのは忍軍衆でも数少ない。

「高坂殿はどちらに……?」

 例年ならこういった仕事は高坂殿の担う所だ。組頭はふっふっと笑う、苦笑と悪戯っ気が混ざった様な笑みだ。

「珍しく働き者な私の心配ばかりで、仕事にならないと押津に連れていかれてしまったよ。多分、あっちかなあ」

 組頭が指した方角を見て、私は合点が行く。だが、然し……と、少し首を捻るものもあった。

「くノ一詰所は、男子禁制では……?」

 数年前に出来た新しい忍軍小隊。とはいっても、おなご達の溜まり場の体であるあの場所に連れていかれたとは高坂殿も中々不憫である。これが反屋壮太であれば喜びそうな話だが。

「今日に限っては解放しているらしいね。何でも今年は正月仕度もあれの準備も皆纏めて彼処でやるらしいから、人手はあるに越したことは無いだろう」

 本当に、珍しく働き者な組頭は、てきぱきと縁側の山を低くしていく。
 然し反してその眼差しの、此方の気まで緩む様な穏やかさに、なるほどなあ、と私は独り頷くのであった。

「なに、陣左については、うちのさくが上手く使ってくれているさ。早く済まして彼方の応援に行かないとね」
「なるほど、さく様に尻を叩かれましたか」
「んなこたぁない。あれも屋敷の煤払いにくノ一詰所の世話にとてんてこ舞いに忙しそうで、私ばかりが呑気にしてるのが申し訳無いだけだよ」

『奥方様々』、『所帯を持つと変わるものだ』、『中々良き妹背』等々、方々で言われている囁きに違いは無いようである。
 私が笑えば、組頭もまた苦笑と悪戯っ気を混ぜた笑いを溢すのだった。

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