黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□犬も食わない・中編
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※前回に引き続き、オリジナルキャラが出張っております。


 少女達の掛け声を聞きながら、待っていれば、程なくしてさくが戻ってきた。
 静かな歩みの、その手に乗る盆に乗った茶器からは柔らかに湯気が出ている。

「どうぞ、熱いので気をつけて」

「お気遣い、有り難うございます」

 ゆのが手に取った湯飲みには透き通った色のほうじ茶が入っている。
 口を着けると、広がりだす微かな燻しの煙たさが程良く、身を緩ませた。
 ゆのがほうと息を吐けば、隣から一拍遅れてふうっと息を吐く音がする。ぱっと顔を見合わせた、もう老女に近いが何処か瑞々しい乳母やと、もうすっかり年増だが変わらず優美な養い子は、いとけない少女の様にくすくすと笑い合った。
 笑い合ったと思った途端、乳母や、ゆのの眼はじわじわ潤みだす。

「嫌ですよぅ……年食うと涙脆くなってしまいまして」

 ずずっと鼻をすすり、目元を拭う。
 数年前までは、さくがこんな、ただの娘のように朗らかに笑えることすら忘れてしまっていたのだ。
 生来、気性の明るさには自信のあるゆのにも、晴らすことの出来なかったさくの中の陰りはもう薄い霞の様になり、そこにあるのは薄青の春空の様な穏やかな広がりであった。

 さくの方といえば突如ぐすぐすと涙ぐみだす乳母やにおろおろとしている。その姿がまた気の弛んだ優しげなものであるから、感激が変に染み付いてしまっているゆのの目の縁には、後追いの涙がじりじりと盛り上がるのであった。

「ゆの……どうしたの?太助殿と何かあった?」

 さくの気遣う言葉に、ゆのは半泣きのまま笑う。

「そりゃあ、此方の言うことで御座いますよっ!!」

 半泣きで、笑いながら、怒る、と、まあ器用な事をしたゆのに、さくはぱちくりと目を瞬く。

「私、が……」

「昨日、昆奈門様が拙宅に来られましたの」

「……あら、まあ」

 さくの「あら、まあ」は、何処か惚けた音であった。それから、湯飲みへまた一口。次に、ふうっと、斜め上を仰ぎながら溜め息を吐く。

「驚いたわ……まさか、貴女の所へ?」

「さく様、」

 やや咎める声になるゆのに、さくはゆるりと微笑む。

「あの方、斜めに傾いでらしてなかった?」

「ええ、傾いでおりましたとも。さく様、御夫婦の事に口を挟むのは無粋なのは承知しておりますが、私とて昆奈門様から頼まれた身、」

「そう、傾いでたのね。御勤めに口を挟んだのは謝りましたよ?なのに、あの方ったら傾げた状態でずっとむっつりとしているんですもの」

 さくはゆのの言葉を遮って、ゆるりとした笑みを少しずつ苦笑へと変えていく。

「私もどう、お声掛けしたものやらで…………昆奈門様は昔、仲直りの仕方を碌に知らないと仰ってましたけれど、どうやら私もそうだった様ね」

 さくはそう、首を傾げる。
 ゆのは、少し膨らませた体から深々と息を吐いていった。

「……まあ、そんな所だろうと思っておりました」

 これは乳母やであるからこそ分かるとゆのは自負しているのだが……さくは、その整った容姿に加えて少々無愛想な為に、見た目には気性のキツそうに見えるが、その実は存外に気長な質なのである。
 感情の調整が上手いとでも言うのか、諜報任務に特化したその冷静さは、亡父、結崎隆康の教育の賜物なのであった。
 弊害があるのだとすれば、その気長さや努めて作られる淡白さは、任務においては功を奏するが、事普段の人間関係においては齟齬を産みやすいといった点であろう。
 具体的に言うのであれば、さくは恐らく、雑渡にはもう殆ど怒っていないのだ。然し、雑渡の不機嫌に対しては二の足を踏み、一歩離れて「そっとしておこう」という態度で気長に三日が経過したのである。
 さくにとって、怒りというものは長く続く感情ではない。だから相手もそうなのだろうと思っている。

 だが、その気長な態度が、雑渡にしてみれば「三日も碌に口を利いてくれない」になり、「さくはまだ怒っている」になるのである。
 そして、雑渡も雑渡で、慎重な質であるのに加えて少々子ども染みた所がある故に、さくが何かしら話しかけてくるまで「むっつり」としていたのであろう。

 ……男の方が、好いた相手の優位に立ちたがるものだけれど、まあ見事に擦れ違っていらっしゃること。

 と、ゆのは、其処まで考えて、再び深々と嘆息を溢した。
 此処で今のゆのの考えをさくに説明するのも一つの手であろう。
 さくならば、恐らく納得はする。だが、理解させれるかどうかまでは自信はない。そして、更に言えば、雑渡の方も、たださくが喋る様になれば解決という訳でもないだろう。

 つまりは、

「さく様、昆奈門様は怒っていらっしゃるのではありません…………拗ねていらっしゃるのですよ」

 ゆのが引っ掛かりを覚えた部分から解していく他無いようである。

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