黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□犬も食わない・前編
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 雑渡の妻であるさくは、見目こそは麗人とも言うべき女ではあったが、その容姿を飾ることに関してはいっそ潔い程に興味の薄い女でもあった。

 華美というものを好まない彼女が身に付ける小袖は鳩羽色(はとばいろ)やら枯野色(かれのいろ)やら菊塵色(きくじんいろ)やらの落ち着きも落ち着いた色合いであり、帯すらもあまり華やかなものは持たない。
 櫛でさえ、今は亡き前夫がくれた白木の簡素なものをずっと使っている。
 ものが悪くなれば手ずから直し、そもそも道具や衣類の扱いは丁寧なものだから悪くなるという事は滅多とない。

 そんな、妻に、雑渡は別段不満というものはなかった。
 地味な格好をしていても、いや、地味な格好だからこそ、彼女の菖蒲花(あやめばな)の様な清廉な美しさが際立つ事も理解していたし、元々雑渡とて大袈裟な派手さなどは好まない質であったから。

 だが、ある日だ。

 ある日、久方ぶりの非番の日に、さくを連れて城下の甘味屋に赴いた時の事である。

「綺麗な縫い取りでございますね」

 ふと、さくがそう言ったのを聞いて、雑渡の視線はさくの視線をなぞる。
 なぞってみれば、立ち去っていく妙齢の娘の背が見えて、さくのその言葉は娘の着る着物に掛かったのだろう事が分かった。
 それは玉子色をした生地に共色を中心とした縫い取りが一面にされているもので、ごく淡い紅色で施された牡丹の意匠は華やかな、然り気無くも、かなり手の込んだ高価なものである事は雑渡の目にも瞭然であった。
 隣に使用人らしきものを従えているという事は近隣の裕福な商家か、良家の娘だろうか、と、雑渡は、既に目線は外れている隣の妻に目を落とす。

 さくならば、玉子色より、もっと落ち着いた、白藍(しらあい)や、青磁(せいじ)の様な色でも良いだろう。
 雑渡はふと、そう思った。

 頭の中で、その浮かんできた色と形を組み立てていく。

 花は藤か菖蒲か……いや藤が良い。細かいものが沢山散っている方が、できるだけ細やかだが、然し華やかさはちゃんとある様に…………あ、良いな。

 そう、「あ、良いな」と、雑渡はそう思ったのだ。
 その「あ、良いな」の気分のままに、後日、仕事の合間に呉服屋の暖簾を潜ったのであった。





「……んまあ、それではさく様に贈り物を?」

 話を聞く内にやおら輝きだしたゆのの表情。
 太助もうんうんと満足げに頷いている。

「そりゃあ、良いことをなさった。さくお嬢様も果報者だ」

「んー……だと良かったんだけどねぇ」

 雑渡の、ふうとした溜め息に、太助とゆのは、はっと顔を見交わした。
 そうである。
 そもそもそれだけの話であれば、雑渡がわざわざ妻の乳母やとその夫を訪ねてくる事などないのである。

「着てくれないんだよ」

 雑渡が言うには、その呉服屋の職人達に頼んで作らせた縫い取りの小袖を最初に見せた時のさくの反応は、雑渡の目にも喜んでいる様に見えたそうなのである。





 持ち帰った桐箱を前に不思議そうに首を傾げているさくの前で箱をあけて、その小袖の袂を見せた時、さくは、息を呑んだのだった。
目を上げて顔を見ていれば、目元が微かに上気して、少し潤みがある様にも見えた。
 ふうと息を吐くさくに雑渡の隻眼はきゅっと細くなる。

「ね。綺麗なものだろう。私も思ってた以上の仕上がりで驚いたんだ」

 眼差しは成熟した男のそれなのに、弾む声は善行を誉めて貰いたい子どものような雑渡である。
 見返すさくの口許は淡いが柔らかな笑みを結んでいて、雑渡の表情は益々緩むのだった。

「こういうのが一着くらいあっても良いかなと思うんだ」

 そうふわふわと弾む声に、さくは静かな声で「有り難うございます」と礼を述べたのである。






「……ってのが、半年前の話ね」

「「半年前!?」」

 思わぬオチに、ゆのと太助は仲良く声を揃えてしまった。

「まさか、それから一度も……?」

 恐る恐るといったゆのの問いに返るのは雑渡のこくんとした頷きであり、太助共々、ただただ絶句するのであった。

「でねえ、つい先日、言ってしまったのさ……」





「ねぇ、あれ着ないの」

 朝の身支度を済ませたさくに問えば、きょとんとした表情が返ってきた。
 唐突だった己も悪いとは思うが、その表情に、腹の奥からイジケの虫がむっくりと頭をもたげた様な面持ちになる。

「あれだよ、あれ。私が半年も前にあげた奴」

「ああ……」

 合点がいった様に表情を緩めながら、さくは炊事で濡れた手を鳩羽色の小袖の膝で拭う。そう、場所は土間であった。

「…………とても良いものですから、余所行きに使わせて頂こうかと」

「今までだって、何度か出掛けたと思うけど」

 おっ被せた雑渡の声には不機嫌な色が乗っていた。
 対するさくの表情はぎょっと驚いた様な戸惑ったような色が乗っている。
 困った様に首を傾げて、土間の床に座り込んでいる雑渡を見た。

「……それは、そうでございますが」

「………………私のお嫁さんは、余程、地味臭い格好がお好きなんだねえ」

 溜め息と共に言ってから、言ってしまってから、「あ、しまった」と雑渡は思った。
 さくの表情から気遣わしげなものが消え、さっと堅いものに変わるのを目の当たりした。

「………………着飾ったおなごが、お好きでしたら……色里にでも、お行きになればよろしいのでは」

 一言ずつ区切る喋り方は、さくが怒っている時の癖である。
 然し、雑渡も雑渡で、己が怒られる筋合いは無いと、完全にイジケの虫を腹でうねらせてしまっている。

「そういう話はしてない」

「あら、この間行かれたと小耳に挟みましたが」





「行かれたんですか」

 ゆのが、雑渡の語りにずばっと切り込んできた。

「……行ったけど、仕事上仕方無くだし、口挟まれる筋合いだって無いと思うんだけど」

「まさか、それをそのままさく様に仰ったのでは無いでしょうね」

「いや、そのまさか……です」

 太助とゆのはただ、黙って雑渡を見る。雑渡の口からは今日で一番深々とした嘆息が零れた。

「……で、その時から今日で三日、さくが口聞いてくれません」

 ゆのの口からも、嘆息が溢れるのである。


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