黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□犬も食わない・前編
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※……本編時系列より一年後ぐらいの話。オリジナルキャラ多数です。



 黄昏時領の片隅、小さすぎず、大きすぎず、然しそれなりの規模の村落がある。黄昏時忍軍の忍達が生まれ育つ里だ。
 その里の畑で野良仕事に励む者達の中で、一人の女が、ふと腰を上げて、ふるふると辺りを見渡す。
 恰幅の良い体つきに汗の浮いた頬はつやつやと血色の良く娘の様に見えるが、腰を擦る仕草や、髪にほつほつと走る白さ、目尻を飾る細かな皺が、その女の年を物語っていた。

「どうしたぁ、ゆの」

 怪訝な表情で彼方を見るその女に掛かる声、女は、ゆのは、すんと鼻から息を溢しつつゆるゆると首を横に振った。

「いやさ、某かに見られてる気がしたもんでね」

「へっ、年甲斐も無く色めいた事を。そりゃよっぽどの物好ぎいぃっ!?って!すまん!すまぁんっ!!」

 ゆのに(すき)の柄で強かに尻を叩かれた中年寄りかは少し老いた風情のその男は、にやにや笑いから一転、ひぃひぃと叫びながら土の中を転がる。

「あぁ?何がだい?虫がいたのさ!(うね)を崩すんじゃないよこの唐変木っ!」

 その様を見る周りの者達は「全く犬も食わねえよ」やら、「良く言うや太助、愛しい恋女房の癖してさあ」やら、「爺の悋気は見苦しいねぇ 」やら、「じゃあ虫は悋気の虫かいな」やら、「ゆのもちいとは優しくしてやれや」やら、言いたい放題にからからと笑い声を上げる。

 ゆのは笑い声の中心でふんすと身体を膨らませると、きっと目を走らせた。

「鉄!鉄坊!!おいで!!」

 すぱんと響くゆのの声にびくりと飛び上がったのは齢六つ程の男童(おのわらわ)である。

「んだよぉ、婆ちゃん!俺ぁ何も言ってねえぞっ!」

 その不満気ながら情けない声に、「爺さんにそっくりじゃねえか」とまた笑い声が上がった。
 ゆのは溜め息を吐きながら手招きする。

「んなこたぁ分かってるさ鉄坊。ちょいと一走り町にお使い行っておくれ」

 渋々と近寄ってきた男童に、懐から取り出した小銭を数枚掴ませる。

「柳の橋近くの饅頭屋でいっとうふっくらしたのを一つ。余ったら飴でもお買い」

「良いの?」

 渋々とした顔がやにわにぱあっと綺羅綺羅しくなる。
 ゆのは、ふ、ふ、と笑い声を口の端から溢しながら小銭を掴んだ男童の小さな手をしっかり握り込ませて、服や足に着いた泥を払ってやる。

「早駆けで頼むよ。忍に必要なのは、」

「速さ、正しさ、諦めの悪さだろっ!行ってくらぁ!!」

 ゆのの言葉におっ被せながら、男童はくるっと踵を返し、野兎の様な軽やかさで走り去って行くのであった。

「客人かぁ、お前」

 まだ痛むのか、尻を擦りながら男が、ゆのの夫の太助が問う。
 ゆのは隣立った太助の腰をとんとんと叩きながらこっくり頷いた。

「……鉄ぁ、良い隼になるなぁ」

 太助が目を細めて既に見えなくなった幼い孫息子の小さな背を見るようにすれば、それにもまたこっくりと頷くゆのであった。




 さて、ゆのの予想通り、野良仕事が一段落した昼下がりに夫婦揃って家と戻れば、その土間の入り口の前に踞る影法師の様な背と隣に杖を着いた老翁がいる。

「父ちゃん、何だって家に上げなさらないんだよう」

 ゆのの呆れた声に老翁が返すのは「んあー?」と惚けた返しである。思わしくなかったこの老父の心身が再び穏やかなものになったのは喜ばしいが、如何せん、年には逆らえぬものなのか、頭の内は斑の霞にいるようなのである。

「怪しいもんに我が家の敷居を跨がせる訳にゃあいかん!」

「親父殿ぉ……その方あ組頭様だぁ。怪しかねえ、怪しかねえから」

 太助が宥めようが、老父はふんふんと息巻きながら杖で地面を荒々しく突く。

「なぁにを言うか太助!組頭はぁ、んな包帯巻きじゃあないわい!」

「そりゃ親父殿が現役の代の組頭様の話だろぉ。はあ、すみませんねえ、雑渡様」

 太助がその踞る影法師に声を掛ければ、影法師はくつくつと笑いながらゆらりと膝を伸ばして立ち上がる。

「でかい男じゃの」

 と、老父が言ったその背は六尺を越える大男だ。

「いやはや、まあ怪しい成りに変わりありませんのでお構い無く」

 そう大男が隻眼をきゅうっと細めて笑う。墨染めの頭巾から覗く顔の半分と、墨染めの忍び装束から覗く身体の至る所を包帯で包んだその姿は、確かに怪しさたっぷりではあった。

「あっ!昆奈門様だ!!」

 帰って来た鉄坊が開口一番に言った。

「これっ!指を指すんでないよ失礼なっ!!」

 ゆのに小突かれる鉄坊を見ながら、男、黄昏時忍軍忍組頭、雑渡昆奈門はまたくつくつと笑うのである。


 それから、怪しい怪しいと騒ぐ老父をなんとかかんとか夫婦で宥め、ゆのは雑渡を家へと上げた。

「さて、先程は回りくどくこそこそと眺めてらっしゃいましたが、どの様なご用事でしょうか?」

「おいお前、」

 歯に衣着せぬ物言いに、太助はぎょっとゆのを宥めるが、ゆのにしてみれば雑渡は組頭である以前に、手塩に掛けた愛しい養い子の夫なのである。
 その雑渡が己を訪ねてきたのであれば、それは十中八九、件の養い子、さくに関わる事と見て良いだろう。
 ふっくりとした饅頭と湯飲みを挟んで見る目の前の雑渡の様子は、娘の様に脚を横に流しているのは何時もの事として、その姿勢は何となく傾いでいる様に、ゆのには見受けられた。

「さく様と何か御座いましたか」

 単刀直入に聞けば、雑渡はまた僅かに傾いだように見える。

「昆奈門様、さく様と喧嘩した?」

「くらっ、鉄!」

「子どもが口を挟むんじゃあないよ!」

 太助とゆの、二人から揃って嗜められた鉄坊は、漸く落ち着いた様子の曾祖父の胡座に収まりながらぷうと頬を膨らます。
 雑渡は身体を傾げたままに、ふっふっと密やかな笑みを溢した。

「鉄。私とさくはそりゃあ仲が良いんだよ」

「ええ、その通りですとも。さく様は多少無愛想ですが気立ての良いお優しい方ですから、滅多な事では怒りません」

 雑渡のともすれば惚気紛いなその言葉をかっさらう様なゆのの言葉、またも雑渡の体はしょんと傾げた。

「んー……またもや私が悪い前提?」

「昆奈門様。俺の父ちゃん母ちゃんも仲良いけど喧嘩だってするぞ」

 鉄がそう言えば、また、ふっふっと掠れた笑い声。

「なるほどねぇ……」

 しょんと傾げた首からふうと溜め息。
 ゆのと太助は顔を見合わせる。

「雑渡様、儂らで相談に乗れることなら聞きますんで……」

 太助が恐る恐るといった風情で僅かに身を乗り出す。

「うちの(かかあ)はこう言ってやがりますが、さくお嬢様はどうにも鉄面皮でらっしゃいますし気疲れすることもありますでしょう」

「最近は良くお笑いになるさ。適当言うんじゃないよ!」

「お前なあ!儂が雑渡様のお話ししやすいような雰囲気を作ってんのが分かんねえのか!?」

 ゆのと太助がぎんと睨み合う様を、雑渡は瞬き一つしてから「いやすまない」と姿勢を正した。

「いらぬ気を遣わせて、ご夫婦に不和をもたらした様で」

 いきなりそう改まった雑渡に、ゆのと太助はぱっと目を離しあわあわとする。

「ああ、いやいや雑渡様、こりゃあ何時もの掛け合いみてえなもんですから」

「そうですよぅ、まったくお恥ずかしい」

 雑渡は、もう一度瞬き一つ。それからふわんと隻眼(せきがん)を緩めるのだった。

「……羨ましい限り」

 緩めた隻眼に苦笑の色がのる。

「なにせ、うちのさくは言い合う事すらさせてくれないので」

 漸く本題に入った様である。ゆのと太助はまた顔を見合わせ、鉄坊の方へと顔を向けた。

「おぅ、鉄。ひい爺ちゃんとその辺散歩してきな」

 太助が言えば、鉄坊の顔はぐにゃりと歪む。

「えぇー。俺も昆奈門様の相談に乗りてえよ」

「まだお勤めすらしてない子どもが何を生意気に!」

 尻を叩くようなゆのの声に、鉄坊は「へぇえい……」と、渋々に立ち上がり、曾祖父の手を引いて部屋を後にしたのだった。




「さあて、昆奈門様」

 孫息子と老父の足音が遠く去ったのを確認し、ゆのは軽く咳払い後、しょんと傾いだ養い子の夫に目を向ける。
 少し前のめりな、つやつやと丸い頬をしたゆの、腕を組んで胡麻塩髭の顎に皺を寄せながら難しげな顔をしている太助。
 さながら桃の実と栗の実を並べて置いたかのようだった。

「事の次第をお聞かせ願いましょうか」

 ゆのがそう微笑めば、雑渡はふふうと溜め息を吐き、「……この間、ね、」と、訥々(とつとつ)と話し始めるのであった。


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