黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□忍組頭は齢十六らしい・前編
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 さて、そんな騒動の幕開けの昼過ぎより四半刻程過ぎた頃。




 開いた障子から覗くきょとんとした隻眼(せきがん)にさくは目を瞬く。

 何時も、癖であるかの様に必要以上に気配を消しているというのに、今の雑渡は余りにも無防備であった。

「あ、いた」

「お仕事は、」

「逃げてきちゃった」

 そうへらりと笑いながら縁側にどさりと腰掛ける雑渡にどう返したものか分からず、さくは曖昧な笑みだけを浮かべる。

「それはなに?」

 雑渡の視線はさくの膝に置かれた小さな包みに移る。

「荷造りをしておりました」

「ん?」

「いきなり家に知らぬ女がいるとなれば落ち着きませんでしょうから」

 その意味を理解した雑渡は隻眼を(わず)かに見開く。

「え、出ていくってこと?君って私の奥さんですよね?」

 さくは苦笑を浮かべた。

「そうですが、覚えていらっしゃらないのでしょう?」

「うん」

 そう、素直に答えた雑渡はずりずりと這いながら、姿勢良く正座するさくへと近づく。

 そうして、遠慮がちに、然し、じっくりと彼女の顔を眺める。
 睫毛の一本一本に至るまで逃さないような、深淵な海の底を見ているかの様な視線に、思わずさくは目を伏せた。





「……私も趣味が変わったなあ」

「下世話な事を仰らないでくださいな」

 さくの口許に再び浮かぶ苦笑に、雑渡の目が、ふ、と半月の笑みに変わる。





「でも、私が君の事を好きなのは何と無く分かるぞ」

「え、」

 思ってもみない言葉にさくが視線を上げれば、視界は反転し、天井の板目が見えた。

「下世話ついでに質問良いかい?」









 自分を押し倒し、覗き込む隻眼の笑みは悪戯っ子のそれと、僅かばかりの艶めかしさがある。

 さくは、あらまあ、と胸中で小さく呟いた。

「二十年後の私は、君を抱いたのか?」

「……あらまあ」

 口にも出た。雑渡はにたりと笑う。

「当然か、夫婦だものね。じゃあ今したって問題も何も……って何?」

 雑渡はさくの襟元を割りかけた手を止め、くつくつと肩を震わせ笑い出した彼女を見下ろした。

「なに?何が可笑しい?」

「随分と若々しい事を仰るものですから」

 小さく丸まるように、自分の下で笑うさくに雑渡は、む、としたものを顔に浮かべ、襟に入れた手を外し、彼女の髪をぐしゃりと乱すように乱暴に撫でる。

「萎えた」

 仰け反りながらさくから離れる雑渡である。

「あら、以前と同じ」

 半身を起こしたさくは、乱された髪を掻き上げる。
 指から零れ落ちるそれが白い首を撫でるのを見て、雑渡は、ふん、と鼻を鳴らす。

「今の流行りなのか」

「何がです?」

「その髪」

「ああ」

 まだ乱れの残る尼削ぎ髪は夕陽の混じる日差しに金色に光る。

「違いますよ」

「じゃあ、なんで。伸ばした方が綺麗だと思うぞ」

「嬉しいことを言って下さいますね」

 でも私は伸ばしませんの。そう言って、さくの腕が脇に転がった包みに伸びる。


 と、その腕を包帯に包まれた手が掴むので、あら、と、さくは再び雑渡に目を向けた。





「出てかなくて良いよ。心細いし、いてくれよ」

「……十六の昆奈門様は、若々しい上に随分素直でいらっしゃいますね」

 腕を掴む指は撫でるように伸びて、さくの指に絡んだ。

「……ねえ、結局はどうな訳?」

 艶かしいようで、然し、道に迷った幼子がすがるような手の動きにさくはそっと手を握り直し、自身の膝に置いた。


「ご想像にお任せします」

「なんだ、つまらない」

 ただ、と、紡いだ口は花笑みを浮かべる。
 掴んだ手と手の間、どちらのものとも着かない熱。







「二十年後の昆奈門様はとてもお優しいですよ」

 雑渡はそれに目を先程よりも大きく見開く。



「……ねえ」

「なんです?」

「やっぱり駄目?……って、いたたた、あたた止めてごめん、ごめんなさい!」




 つねられた手を擦りながら此方をじとりと見る雑渡は本当に子どもの様に見えて、さくは溜め息と共に柔らかく笑うのだった。

(前編・了)





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