黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□忍組頭は齢十六らしい・前編
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直接的ではありませんが、性的なものをぬるーく匂わせる表現あり。


 黄昏時領内、城から程近い場所にひっそりと佇む屋敷に駆け込む影がある。

「……っ、奥方様!!さく様!いらっしゃいますか!?」

 駆け込んだ影、黄昏時忍軍の若き忍、諸泉尊奈門は酷く慌てた様子であった。

 くるりと丸い眼の中で、黒目が落ち着きなく揺れている。

「何事ですか、尊奈門」

 その呼び声に屋敷の奥から姿を表した、女、さくは、その清涼な印象のある切れ長な目元を怪訝そうに細める。

 微かに傾げた首を撫でるように、肩に着かぬ程の尼削ぎ髪が揺れた。

「大変なんです!組頭が、」

 さくは、諸泉が全てを言い終える間もなく動き出した。


 屋敷の外へと飛び出た(はや)る足は、然し、屋敷を囲う簡素で小さな竹垣の向こう側に見えた影法師の様な男の姿を見て止まる。

 その立ち姿に目に見える怪我や異変が無いことを確かめたさくは暫時(ざんじ)後、溜め息を吐くのだった。

「…………何があったのかと思ったではないですか」

 見た限り、夫、黄昏時忍軍忍組頭、雑渡昆奈門には特に変事は無い様だ。
 背後の諸泉を振り返り、さくは苦言を述べる。

 然し、諸泉の表情は堅く、それを怪訝に思ったさくの意識は然し、近づいてくる雑渡の気配に取られ、そちらに顔を向けた。

「………昆奈門、様、」

 自分をしげしげと見下ろす雑渡に不審なものを覚えた。
 雑渡はそんなさくを他所に、きろ、と隻眼(せきがん)を、彼女の背後で息を詰めている諸泉に向け、





「誰?この綺麗なお姉さんは、」

 と、そう言った声は妙に間延びして幼く聞こえた。


「……は?」

 背後で諸泉が大袈裟な嘆息と共に肩を落としたのが分かった。

「さく様は、組頭の奥方様ですよ。」

「えええ!!?私ってば、こんな美人の奥さんいるわけ!?侍大将殿の娘さんじゃないよねこの人は?」

「……いったい、」

 さくは目の前ですっとんきょうな声を上げながら目を白黒させている雑渡に眉間の皺を深くする。

「なんの、お戯れでございますか?」

 乾いた喉が出した掠れた声。自分を未だ珍しげに見下ろす夫の背後から彼の部下が二名、足早にやって来るのがさくの瞬く目の端に写った。












「……今此処におられる昆奈門様のお心は十六才である、と」

「ああ、ごっそりと、二十年分の記憶を失っている」

 さくのやや呆然とした声に、小頭、山本陣内は重々しく頷いた。

 曰く、雑渡が、常からの怠惰癖からか、部下達の目を盗み詰所からふらりといなくなったのは今朝の事。

 曰く、昼過ぎにまたふらりと帰って来た雑渡だが様子がおかしい。

『気が付いたら片目が見えないし、左耳が聞こえ辛いし、包帯だらけだし、あんたは誰だ?陣内みたいだけど更けてるし、陣内の父上にしては若いし……』

 そんな事を開口一番に言い出し、山本の苦言と小言は喉から出ることもなく腹の内へと収まり、状況をなんとか呑み出した今は、それは鈍い痛みとなった様で、山本は溜め息を吐きながら腹を擦るのであった。

 さくは山本の隣でだらしなく足を崩して座る雑渡を見る、目が合えば、随分と気の抜けたふにゃりとした笑みが返ってきた。

「何かの悪ふざけ、」

「と、我々も思いたかったがどう話しかけても反応や言動が要領を得ない。自分は十六で、気が付いたら周りがおかしいと、そればかりでね。さくちゃんに会わしてみれば或いは、と思ったけども、」

 と、山本の本日何度目かの深く重い嘆息が空気を揺らした。

「阿呆な事になって申し訳ない。」

「いえ、おじ様が謝らなくてはならぬことでも……ところで、陣内左衛門はどうしたのです」

「組頭に「あんた誰」と言われた事の衝撃を未だ引きずっています」

 そう説明した諸泉の背後で、高坂陣内左衛門は、蒼白な顔でゆらゆらと揺れつつ天井だか何処だかあらぬ方向を生気の無いどんよりした目で見ている。

 今に口から魂が出ていきそうだ、とさくは肩を軽く竦める。

「……俄に納得しがたいですが、まあ、分かりました」

 大変な事になった。
 それだけは理解できたさくである。

 山本はうむ、と頭を下げて雑渡の腕を引きながら立ち上がった。

「取り合えず、我々は詰所に戻るよ」

「え、やだよ。どうせ何も分かんないし」

 雑渡は床に身体を投げ出すようにして、抵抗する。
 然し、山本はそれには既に慣れたのか、構わず腕を引っ張るのである。

「分からなくとも、やってもらわねば困るのです。引きずられたくなければ御自分で歩いてください」

「ほら、高坂さんも。」

 そうして、山本は雑渡を、諸泉は高坂を引きずりながら屋敷を後にし、残されたさくは、



「……なんと、まあ」


 小さな細い息を吐き、部屋の行李(こうり)を開けて、風呂敷を取り出すのであった。

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