黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想
□否、問わずとも
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その日、聞いた事、目にした事。
それは、長きに渡り、その場に居合わせた全ての者達の語り草となった。
黄昏時城本丸前では、忍軍小頭衆四人が集結し、主君たる黄昏甚兵衛への目通りを要求した。
しかし、要求は筆頭家老の前に跳ね返され、現在、小頭衆は城内の一角に集められ、武家方の監視の元に動く事も出来ぬまま膠着状態が続いている。
夜明けまではもう後四半刻足らずである。
小頭衆代表の山本陣内は伏せた面を苦渋に歪める。
果たして、己達が此処にいる事は主君には伝わっているのか。
黄昏甚兵衛とて、一国を傾ける程の武力を持つ忍軍との離反は望んでいない筈だ。
小頭衆による強訴とまで至れば幾らなんでも何らかの反応を見せるであろうが、これは、果たして。
(家老方も一枚岩では無い様ですな)
黒鷲隊小頭、押津の放つ矢羽。
山本は密かに、顔を伏せる己らを見下ろしている筆頭家老の一人に目をやる。
(どうも、あの男は以前よりきな臭い)
人の裏と表については最も聡い押津の見解、それを察した小頭衆に緊張が走る。
(忍軍の崩壊、もしくは離反を望む者がいる。という事か)
(我々は殿の強固な盾で鋭利な矛です。何かと邪魔なんでしょう)
(ならば、何としてでも、殿に会わなくては、)
最初に動いたのは、隼隊の小頭であった。
伝令として、時には死間として、数多くの死地を乗り越えた彼でしかできなかった判断であろう。
(他の皆様は動きなさいますな)
そう鋭く放たれた矢羽と共に、彼は懐に隠し持っていた百雷砲に打竹で素早く点火した。
「おいっ!なにを、」
家老達の咎めは、けたたましい爆発音に遮られる。
その連続する銃声の様な音に武士方は怯んだ。
その隙に乗じて、彼は更に月輪隊の小頭より投げられた炮烙火矢に火を放ち、彼方へと放った。
それは、屋敷の屋根へと真っ直ぐに飛んで行き爆発する。その近くにいたのであろう女中達の叫声。
「この!!殿中であるぞ!気が触れたか素っ波めが!!」
隼の小頭は、激昂した家老達に寄って地に縫い付けられる。
残りの小頭達はぐっと拳を握った。
(皆様は手を出してはなりませぬ)
隼の小頭からの矢羽。
山本はぐっと歯噛みする。
耐えろ。しかし、間に合ってくれ。
「これは何事じゃ!!!」
隼の小頭の首を落とさんと振り上げた刀はその怒号にぴたりと止まる。
肩を怒らせている白髪の家老、その背後にいる人物に、山本は嗚呼、と、息を吐いた。
「その刀を下ろせ。騒がしい」
主君、黄昏甚兵衛はうんざりとした表情と冷たい声でもって家老達に命ずる。
「と、殿!!」
刀を下ろした家老達は直ぐ様その場に膝を着いた。
「山本、お前達は何時から来ておった」
「畏ればせながら、殿!この素っ波共は身の程知らずでありながら殿に目通りを要求し、殿中で、」
「儂はこいつに聞いとるんじゃ」
筆頭家老の進言をぴしゃりと打ち据えた。徐々に顔色の悪くなるその様を、蛇の様な相貌が見下ろす。
「四半刻程前からでございまする」
「ふむ。……遮っておったのはこやつかの」
扇子の先は蒼白な面持ちの筆頭家老を示し、それに対して、山本はこっくりと頷いた。
「はて、何処の主君がその様な事を頼んだのかのう?」
「と、殿……私めは、殿の御身に危険があるやもと、」
「そうであったとしても、忍軍小頭衆の強訴という特異な事態。殿に先ずはお伝えするのが筋というものであろう」
白髪の家老がそれを切り捨て、黄昏甚兵衛は、ふん、と、鼻で笑う。
「まあ、良い。おぬしの言い分は後で存分に聞いてやる。さて、小頭衆よ」
「は」
「おぬしらが儂に何を言いに来たかは察しは着いておる。しかし、儂とて武士の端くれ、一度出した矛はそうそう納められぬ」
「……存じております」
山本は頭をぐっと深く下げる。
「然しながら、我々は敢えてお願い申し上げまする。我等、小頭衆の首に免じて、此度の里への進軍を、どうか、お止め頂きたい」
「……雑渡は、儂への忠義より、お主らへの責より、私怨を晴らすことを取った」
ひやりと、白刃の声は、山本の背中に降り注ぐ。
「其れがどういう事であるのか、あれに分からせねばなるまい。鎖を切ろうとする犬は躾ねば。そうであろう、山本よ」
じたり、と山本の額を汗が伝う。
「お願い致します。どうか、里の者には、」
「くどい」
伏せた視界の先の、地面が日に白く照されつつある。
払暁だ。
「さて、刻限だの」
嗚呼、と山本はぐっと目を閉じる。
その時だ。
「殿っ!!」
具足の音。性急な色の声。
「申し上げまする!雑渡が戻って参りました!!」
「……ほう」
山本は、目を見開く。
小頭衆の間から、安堵とも感嘆とも着かぬ吐息が溢れた。
「儂が行こう。小頭衆は此処で待て。お前達は、一先ず、まあ適当な所におれ」
しっしっ、と払う手とぞんざいな声と共に、小頭衆を遮っていた数名の武家方は、また別の家臣達に寄って囲まれ、連れ去られていった。
連れられていく、呆然と、蒼白な筆頭家老の顔を山の端から覗きだした来光が照らし出していた。
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