黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□散る花の赤
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「さく様!!」

 耳を刺すその声に我に返った彼女は、父の亡骸の前で、ふと顔を上げて、その声の主に目をやる。

 常に無表情を貼り付けたその顔は、今は何処かぼんやりとしていて、駆け付けた乳母やのゆのを確認した瞬間に、ぐっと目をしかめるようにした。

「……隆康様」

 息を飲む音、そして、崩れかかる様にも、支えようとした様にも取れる、さくの肩を抱く腕。

「……双方が共倒れるまで、闘われたのだ。御立派な最期であられた」

 そして、空虚に響く己の声。全てが遠く、只、ひたすらに、鈍く痛む。

「……さく殿、組頭は何処に」


 その膜の掛かった様な感覚を不意に揺さぶるのは緊迫を孕んだ固い声。

 さくはその声の主である高坂陣内左衛門を見た。

「昆奈門様は、此処にはおられぬ」

「……馬鹿な、」

 (わず)かに刮目(かつもく)する忠臣(ちゅうしん)、そして、身を固くする乳母やに、さくの胸がざわつく。





 高坂とゆのから事の次第(しだい)を聞かされた彼女の眼光は鋭く、口許は固く結ばれている。


「……組頭は御自ら、此度(こたび)の裏切りの先導者を(ちゅう)しに行かれた。既に此処の付近に着いておられる筈だ」


 さくはその言葉に、すっと眉をしかめ父の亡骸に目を落としていたが、暫時(ざんじ)(きびす)を返し、砦の屋敷の中に足を踏み込む。その後に、高坂とゆのが続いた。

 亡骸の数から、先程まで繰り広げられていたであろう戦闘の激しさは容易に想像できた。
 それに反して多少の火の痕はあれども意外にも損傷の少ない屋敷内を、彼女はただ、無言で歩く。

 自身の夫の気配を探りながら、倒れ伏す家臣や女中達の亡骸を乗り越える。
 それらには大きな外傷は無く、一人の仰向けた口許から滲み出ている赤黒いものから、毒に殺られたのだと判断する事が出来た。

 僅かばかりの目眩。口許を押さえる。

「毒煙か。名残がまだある」

 背後からの高坂の声。振り返り、視線がかち合えば、高坂は頭を緩く振る。

遊山(ゆさん)での鬼食(おにく)ひの時も見たろう。此れごときの毒では、組頭は死なぬ」

「……あれはやはり毒が入っておったのか」

 しかし、求める気配はない。

 三人は足元の地面を僅かに流れる鈍い色の煙の流れを辿っていく。

 程無くして、奥の座敷に行き当たる。

 ぞんざいに開け放たれた引き戸は、つい先程、誰かが開けたかの様な生々しさかあった。

 その座敷の中を覗きこんだ時、隣に立つゆのが小さな叫び声を上げる。

 そこにある、香炉(こうろ)を抱えさせられ、壁にもたれている女は、さくと同じ顔をしていた。

「いったい、これは、」

「……変装だわ」

 口許を押さえたまま、その亡骸に近づいたさくは、香炉を蹴飛ばし、僅かに残っていた火種を揉み消す。

 反動で少し横に崩れたその冷たい肩を掴み、そっと横たえた。
 その顔を覆う化粧を手拭いでゆっくり拭えば、素朴な娘の、まだうら若い女中の顔が現れた。

 さくの表情は、ぎり、と歪み、瞳に冷たく光る様な怒りが(こも)りだす。

「死者を(はずか)しめるとは……下道め」

 僅かに開かれている娘の眼を、その低い声とは裏腹に優しい手付きで撫で、閉じさせた。

「組頭、は、」

 高坂の声から緊迫と焦燥(しょうそう)が消えることは無い。そこに、憤怒(ふんど)と嫌悪が混ざるのを感じたさくは顔を上げる。





「……随分と、趣味の悪いことだ」




 そう吐き捨てる様に呟く高坂の視線の先を、さくは追い、そして、その瞳に(はら)怒気(どき)を更に強める。



「………夕闇峠(ようやみとうげ)



 ゆのの震える声が、その血痕飛び散る壁に刻まれた言葉を読むのだった。




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