黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□まつとし聞かば
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※血、暴力表現注意。


「母上は、」

「今は御休みになられております」

 詰所(つめしょ)の一室の戸を静かに閉めながら、養い子をふりかえったゆのは、その付き合いの長さより、彼女の無表情からも何事かの変事があった事を悟り、次の言葉を待つ。
 彼女の身成が小袖姿ではなく、袴を履いている事も、ゆのに一抹の不安をちら、と浮かばせた。


「父上が殿軍(しんがり)を勤めなさっておられる」

「隆康様が、」

 ゆのは息を呑む。

「みゆき様にお伝えは、」

 さくはきっぱりと首を横に振る。

「母上の耳には入ることの無いよう、注意して頂戴。あの方の為にいらぬ心労を重ねることは無いわ」

「さく様」

「……あの方は、どんな苦戦であろうと本隊の到着まで戦い抜くでしょう。その身を切り刻まれようとも決して退く事はない、だからこその殿軍。だからこその鬼の結崎。感傷も同情も元よりあの方は必要とされていない。勝手に戦いそして死ぬならばそれもまた良いでしょう」

 ゆのはそっと、固い表情のさくに歩み寄る。

「さく様。畏ればせながら進言致します」

 ゆのの険しい表情をさくはじっと見返した。

「隆康様とみゆき様は、まっこと互いを思い合っていらっしゃいます。さく様にとっては、隆康様はみゆき様をお捨てになった様に思えるのでしょうが、」

 さくの目元が歪む。

分家(ぶんけ)宗家(そうけ)の跡目争いに母上を巻き込まぬ様、離れる事を選んだ。父親としての情を向けなかったのは、私を守る為と、そう言うのでしょう。」

 定められた文言を唱える様な、そんな声であった。


「分かっておられるのでしたら、何故その様に無体を仰るのですか」

「ええ、ずっと分かっていた。それがあの方の愛し方だと。そんな風にしか愛せない方なのよ」

 そう、ふっと、肩の力を抜いたさくは、言葉を続ける。

「だから、私は父上の様には人を愛さぬと誓った」

 疲れきった様な笑みがその菊花(きっか)の口唇に浮かぶ。






「ゆの、私は此れより宵待城へと向かいます。上手く誤魔化して頂戴」

 見開かれた目で咎める乳母に対してもなお、穏やかで悲しげな笑みは崩れる事はない。

「さく様、それはなりません。昆奈門様も待てと仰られた筈です」

「ええ、待ちます。何処で待とうと、それが地獄であろうが同じ事。……せめて、死に水くらいなれども、取りにいきましょう」

 突き放す事でしか、娘を愛する方法を持ち得なかった父を、その有り様を憎みながらも、それでもなお、哀しい程に、その死地に立つ父を追い掛けさせようと(はや)る感情を何と呼ぶべきなのだろう。

「私は、父上の様には愛さない」

 突き放すのならば、それには従わない。それはある種、意地にも似ていて、しつこく絡む蔦の様にさくの心の来し方と行く末を長きに渡り定めていた。
 それすらも、愛と呼ぶことを何としようか。





 脳裏に、日に焼けた、大らかな日溜まりの笑みを浮かべた男が浮かぶ。

 貴方も、私の意地に捲き込まれたのよ。


 降り掛かる感傷を封じ込め、さくは踵を返す

「断るとは言わせません。止めても無駄と存じなさい。必ず戻るわ」

 ゆのが、背後で、ただ静かに頭を下げたのを感じた。

 さくは花を散らす風の様に、しかし静かに、その場から、走り去る。


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