黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□青い松葉と、黒い蔓
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 艶やかな廊下を磨きながら、頬を掠める風に、ふ、と空を見る。
 まだ日差しは強くともその天は幾分か高く感じられて、彼女は(わず)かに目を細めた。

 雑巾を畳み直しながら、家に残してきた者を微かに思う。

 あの方、きちんと過ごされていると良いのだけれど。

 と、その時。
 着いた膝から伝わる振動に、彼女は意識的に顔を上げる。
 そして、慌てて庭に降り立ち、今度は頭を深く下げた。
 慌てた様な振りをした。というべきかもしれない。

 廊下を歩いていく男達は、庭で(ぬか)づく(はしため)など気にも留めず談笑している。
 額づく彼女の、鍛えられた耳を通じて、その会話は無意識に記憶され、精選され、搾り取るように情報を奪われている事など、彼等は思いもしないであろう。

 男達が去った後、彼女は、手桶を片手に井戸へ向かおうと立ち上がる。


 まともに食事はとられているだろうか。

 彼女は、また、ちらりと、家に残してきた者を思った。








 忍術学園六年い組、潮江文次郎は、僅か下方を手桶を片手に通り過ぎていく女を見た時に、剪定中の松から転げ落ちる錯覚を覚える程に驚愕した。

 何故、黄昏時の忍組頭の奥方が此処にいるのだ、と。

「これ、庭師、どうかしたのか?」

 家老の(おきな)が怪訝そうな顔で潮江を見上げている。

「へえ、すいやせん。少々暑くて」

「ほう、それはいけぬ。後で麦湯(むぎゆ)を飲ましてやろう」

「ありがとう存じやす」

 普段の彼を知る者、それこそ彼の直属の後輩達が見れば、引っくり返りそうな程の愛想の良い笑顔だ。
 彼は、今、夏期休校中の課題任務の真っ只中である。

 そうして、また松の青々とした針葉を器用な手付きで形良く剪定していく。
 その様子を感心しているかの様に見上げてくる視線から、隠れる様に顔を傾かせ、潮江はその眉間に皺を寄せた。

 雰囲気は随分と違うが、あれはまさしく、あの、さくとかいう女に違いない。黄昏時の何かしらの任務だろうか。

 関わっても得は無いと思いながらも、血気盛んな性質がそれを拒むのもまた事実で、彼奴等が碌でも無いことを考えていないか探って、学園に報告すべきではないかと、潮江の思考はそう行き着くのである。

「よっ、と、まあ。どうでしょうかね」

「なかなかに見事な腕じゃの。若様、面白う御座いましたか?」

 翁の隣の、六歳程の小さな少年が微笑みながらこくりと頷く。

「いやあ、なかなか可愛らしく利発そうな若様ですなあ」

 手拭いで汗を拭きながら、にかりと笑ってそう言えば、翁はたちまち破顔する。

「それはもう。若様は、この家老の自慢なのじゃ。」

「それはそれは、……私にも歳の離れた妹がおります」

 潮江はひょいとしゃがんで、少年と目線を合わす。

「若様と比べるのも御無礼ですが、うちのは体が弱くて家に篭りがちでして……こうして御元気そうな若様を見ると、少々羨ましい気持ちになりますな」

「庭師」

「いや、無礼を申しました。忘れてくだされ。しかし、私が不甲斐ないばかりに、外を走れぬあの子に玩具のひとつも買えぬのは、やはり悔しいものですなあ」

 ぎゅっと、眉を潜めながら、しかし笑う。
 無理をした笑い、と見れる様に。

 翁と幼子も釣られて眉を潜めている。

「……のう、(じい)(われ)の張り子の犬を、この庭師にやっても良いかの?」

「あっ、いや、そんな!若様御使いの玩具など勿体のうございますよ!!」

 潮江は慌てた様に腕を振る。
 勿論、『振り』である。

「いや、構わぬ」

 翁は、ずずりと鼻を啜りながら潤んだ目でそう言った。

「本当は給金に色を着けてやりたいが、わしの一存では叶わぬからな。若様の暖かき御心遣いに感謝せよ」

「ははあっ!ありがたき幸せにごぜえやす!!」

 潮江は深々と頭を下げた。

 暫時、若君の手から渡された、小さな張り子は、若君の名入りであり、潮江は再び恐縮する振りをしながらも、内心では、してやったりと拳を握り締めていた。

 彼に与えられていた課題は。

高左呉(たかさご)城の若様の持ち物を一つ入手せよ」

 で、あった。



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