黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想
□お嫁さんにお客人
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黄昏時領内でのある朝の事。
黄昏時忍軍忍組頭の雑渡昆奈門は、仕事を終え、疲労のためか身体を少し引き摺るようにしながら屋敷へと戻った折り、ごく無意識に感じ取った気配に、目を微かに見開く。
いるであろう気配と、もうひとつ。
「お帰りなさいませ。湯を張りましたから、先に身体をお流しになればよろしいかと」
自身を出迎る整った無表情を見下ろす。
「さく。誰か来てる?」
「ええ、」
彼女が背後を振り返れば、ひょいと顔を出す面を着けた男。
「お早うございます。組頭。」
黄昏時忍軍黒鷲隊小頭。押津長烈であった。
湯浴みを済まし、幾分かさっぱりした様子の雑渡は、だらしなく足を投げ出しながら、自分の前で正座する押津を見た。
「で、何しに来たの?私は疲れているから仕事の話しは聞きたくないなあ」
「さく殿に任務の依頼をしに参りました」
「ふーん……え?さくに?」
雑渡はきょとんと、目を瞬いて、湯呑みを出す自身の妻、さくと、押津を見比べた。
「押津様。その件、私はお受けしたいのですが、やはり昆奈門様から了承は得ないとなりませんよ」
さくは雑渡の隣に腰を下ろしながら言った。
「昆奈門様。雑炊がありますが、お食べになりますか」
「ありがとう、頂くよ。……じゃなくて、どういうこと?」
押津に問えば、面の下の頬を掻いている。
「潜入任務ですが、先考のものです故、そこまで危険はないかと思いますよ」
「いや、任務内容を聞いているんじゃなくてね。なんで、お前はさくにその話を持って来た訳?」
雑渡はあからさまに不機嫌な様子で、押津に問い直す。
面倒な事になりそうだ、と。さくは小さく溜め息を吐きながら、雑炊を暖め直すべく、土間の方へと部屋を後にするのだった。
残されたのは、ぶすくれた顔の雑渡と、面に隠され見えないが苦笑を浮かべてるだろうことが雰囲気で伺える押津である。
「……もう一度聞くよ。くのいちの使用と管理はお前達黒鷲隊の管轄だけど、何故、態々、組頭である私のお嫁さんに声を掛けるに至ったんだい」
「組頭はくのいちに興味はないご様子でしたから、ご存じ無いでしょうな。さく殿は百発百中とまではいきませんが、黄昏時が遣う者の中では抜きん出て優秀だったのですよ」
「ふーん。」
「まあ、結崎家の一件から表に出すことは長らく叶わなかったのですが。加えて、今、里には、伴侶がいて、年頃も良く、遣えそうな者がおりませぬからなあ」
情報戦を主に担う忍軍黒鷲隊は、時としてくのいち、女忍を遣う事もある。
しかしながら、黄昏時には正式なくのいちはおらず、殆どは里の忍達の家から輩出される娘達を遣っている。
その意図とは、一言において、「女は信用ならぬ。」であった。
事実、潜入任務に送ったくのいちが、逆手にとる筈の色に逆に自身が溺れ、敵方に寝返った例は多々ある。
危険と隣り合わせの状況がそれをさせるのであろうが、押津に言わせれば、女は脆い、である。
それ故に、黒鷲隊においては、くのいちの扱いは慎重そのもので、重要な任務には、伴侶持ちや恋人のいる女達を遣う様にしているのであった。
しかし、それでも、裏切りは起きるのだから、人の心程ままならぬものは無い。というのが、人心については忍軍で最も見識の深いであろう押津長烈の主張であって、故に、彼が黒鷲隊の小頭になってからはくのいちに対する慎重さは更に顕著になっていた。
黄昏時忍軍にくのいちが未だ根付かない、最たる理由のひとつである。
「さく殿は、武も知も立ち、前夫の例を除いて色に落ちた事はありませぬ。そして、今は組頭の奥方」
「なるほど、要は、さくなら絶対に裏切らない。と、言いたい訳ね」
つまりは、黒鷲隊小頭のその慎重さ故に、さくに話が来たという事か、と合点がいっても、雑渡は未だ憮然とした表情を動かさない。
※:先考のもの……先考の術。戦の前に敵方の調査をするもの
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