黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□暑夏に氷晶
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「さく様。申し訳ありませんが、ゆのは明日より暫く暇を頂きたく存じます」

「……え?」

 ある日の夜に、やおら乳母やから言われた言葉に対し、その内容と、自分の口から出た音の間抜けさを思って彼女、さくの柳眉(やなぎまゆ)がごく(わず)かに歪んだ。

「私の実家の父の調子が少々、思わしくないそうなのです」

「それは、まあ。……分かったわ。此方は気にしないで、大丈夫よ」

「ええ、存じておりますとも、」

 と、ゆのはふわりと笑う。

「さく様のお顔が最近柔らかくなられた様にゆのには見えますから」

 さくはその言葉に何と答えて良いか分からず、ただ曖昧に頷く。

「昆奈門様も、短い間でしたが、ご厄介になりました」

 さくの後ろで、布団の上に胡座をかいている彼女の夫、黄昏時忍軍忍組頭、雑渡昆奈門はにこりと右目を細める。しかし、焼け爛れ固まり白く濁った左目の方は、細めるどころか動く事もない。
 ゆのは、そんな雑渡に対し、臆する事もなく微笑み返す。

 普通の女こどもであれば、いや、男であっても顔を背けたくなる様な痛ましい姿であったろうが、ゆのにとっては大した問題では無かった。
 寧ろ、その姿を自身の養い子の前に晒す事実こそ、この男がさくに心を許している何よりの証として、内心、喜ばしく思っていたのである。

「お父上に宜しく言って下れ。今度、何か滋養のあるものを送らせて頂きましょう」

「有り難き御心遣い、(おそ)れ入ります。夫婦に水を差すようなこの乳母はいなくなります故、これからも、さく様とどうか仲睦まじくお過ごし下さいませ」

 ゆのは、そう、深々と頭を下げた。

 ああ。と、さくはふと思う。

 ゆのは、もうこの家には戻るつもりはないのだろう。と、彼女は微かに溜め息を吐いた。




 そうして、翌朝、早くに身支度を済ませたゆのは雑渡の屋敷を出ていく。

「ゆの、」

 さくは門前で会釈をするゆのに声を掛けた。掛けたが、その先が出てこず口をつぐむ。
 そんな彼女に、ゆのは優しく笑い、両手を包むように持った。

「さく様は大丈夫にございますよ」

 そうして、そっと、軽く抱き寄せるようにさくの頭を撫でる。

 雑渡はそれを少し遠巻きに見ていたのであった。


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