黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想
□夏の日のお届けもの
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青く生い茂る木々の間を、一人の人間が飛ぶように動いている。
麹塵色の着物に、樺茶色の袴は、青葉の影にその人物を溶け込まし、その中で白い、形の整った顔や手足が浮かぶ様は、さながら樹神が遊ぶかの様な光景であった。
男の様な成りをしているが、風の様に動く肢体のしなやかさ、その流れる髪の間から見える、汗をうっすらと浮かばせた首の細さが、女であることを想起させた。
その女、黄昏時忍軍月輪隊は結崎家が息女にして、今は忍軍忍組頭の奥方であるさくは、その、近しい者達には馴染みの、そうでない者には不遜に思われる感情に乏しげな無表情で、目だけをきろりと動かした。
葉擦れに紛れる微かに聞こえる物音を、彼女の鍛え上げられた耳が拾う。
それは、争うような声で、声の高さから、子供がいる……と、そこまでを認知した彼女の足はがっと枝を蹴り上げ、方向を転換させた。
野武士か。
辿り着いた樹下に見えた光景に、柳眉が潜められる。
あんな年端のいかぬ子供まで襲おうなど、下衆以外のなにものでもない。
彼女は懐から取り出した笄を徐に投げる。
殆ど力をこめていない手付きで投げられたそれは、しかし、鋭く空気を切り裂きながら、籠を背負った子供に太刀をちらつかせながら凄む野武士二人の内の一人の、その片目に強かに打ち突けられる。
「ぐえっ!!?」
笄を目に当てられたその男は手で目を押さえながら揉んどり打つ。
すかさず、彼女は木の枝を蹴り、何が起きたのだと首を振り回しているもう一人の頭上に躍り出る。
ばっと此方を見上げた顔面を踏みつけ、着地と共に足払い。
倒れるところに、男の太刀を持つ手を後ろ手に捻り上げながら背中に膝を押し込む。
「なっなんだ、てめえは!?」
「……知らなくて結構ですよ」
もう少し捻れば肩を外せる、その寸前まで力を入れれば、男は唸り声を上げる。
「逃げなさい」
呆けた表情で此方を見ている少年に声をかけた。
何処かで見た顔だな、と、彼女が、一瞬思った時、
「ひっ、ひいいいっ……!!」
片目を潰された男が逃げていく。
「……ちっ」
さくの表情が舌打ちに僅かに歪む。
手刀を作り、地に縫い付けている方の男の首に強かに食い込ませる。
「がっ!?」
短い叫びの後に男は体を弛緩させた。
その、岩の様な体躯と対照的な、柳の様な身体を彼女は離し、少年に駆け寄る。
「……死んだの?」
「気絶させただけです。さて、早く逃げますよ」
少年の手を取った、しかし、それは瞬時にその少年によって払われる。
「子供扱いすんな!花売りの花摘んでる途中なんだよ邪魔しないでくれよ!!」
ぎっと、さくを睨み上げる少年が、誰であったかを思い出した。
踵を返して走り出そうとした少年の、今度は肩を掴んで引き留める。
「忍術学園の生徒さんですね」
「煩いっ!離せっ!!」
その手を再び払おうと振るわれた手を彼女はしっかり掴む。
忍術学園。黄昏時としては味方とは言えない勢力であるが、そこの生徒達は彼女の夫の御執心である。
という事を抜きにしても、まだ子供のこの子を放っておくわけにはいかないと、彼女は少年がどんなに振り回しても、その手を離さなかった。
「離せよっ!」
「花摘みは諦めなさい。するにしても急いでここから離れないと、」
その手を引こうとしても、身体を捩らせ、足を踏ん張る少年に、さくは困り果てた様に眉を下げる。
「でないと、面倒な事に……なってしまった様ですね」
ざざざ、と、草木を掻き分ける音、近づいてくる、あからさまな殺気に、さくはやれやれと息を吐いた。
※:麹塵色……くすんだ黄緑色
樺茶色……赤みのある渋い茶色
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