黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想
□初めましてお殿様
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「……で、なんなのあの顔は」
廊下を再び歩きながら雑渡はさくを振り返り言った。
「あの顔と申しますと」
不満たっぷりな表情を浮かべている雑渡をさくは涼しい無表情で見上げる。
「あんな風に笑えるなんて旦那さん聞いてないんだけど」
「ああ、あれは、任務用の顔ですよ」
「どんだけ外面良いの君!!一瞬別の人連れてきたかと思って焦ったんだけど!?てか、普段も旦那さんの私にあの顔見せようとは思わないわけ!!?」
「昆奈門様。殿中でございまする。声を押さえ下さいな」
困った顔をしている小姓の変わりに雑渡に注意すれば彼は口をぱくぱくさせた後再び大きな溜め息を吐いた。
「……賭けはどうなったんだという話だよ本当に」
「だから言いましたでしょう。私はくのいちとしては出来損ないだと」
誰彼構わず愛想良く演じれる程、さくは器用な性質ではないのである。
「それにしても、随分と殿に対して気安くいらっしゃるのですね」
「まあ、付き合いが長いからね。あの方が家督を継ぐ前から側に遣えているし、兄みたいな感じだよ」
「それは、まあ」
少し驚いた様にさくは目を見開く。例えそうだとしても、城主の息子と忍者では身分が違うものだろうに。
「まあ、あの方自体変わった御方であるからね」
「……はあ」
不敬ながらさくはそれになんとなく納得してしまった。
つまり、あの殿にしてこの忍組頭と言うことか。
「おや、これは珍しい。雑渡殿ではございませんか」
廊下の前方から一人の侍がやって来る。雑渡が小さく「うわ。」と嫌そうに呟くのをさくは聞き逃さなかった。
「これはこれは、筆頭家老殿。御機嫌麗しきようで何より」
雑渡がのろのろと頭を下げるのがさくの伏せた視界の端に映る。
「ふうむ。格好もまた珍しい、いつものあの墨染めはどうなされた?ん?」
男の声は友好的な雰囲気ではあるが、言葉の端々に嫌味めいたものがねちっこくへばり着いている様に感じられた。
「本日は殿への謁見故、失礼の無い様にと思いました次第でございます」
雑渡も雑渡で、丁寧な言葉遣いの中に敵意のような嫌悪のような冷たいものが混ざっている。彼はこの家老が嫌いなのだな、とさくは思った。
「ほほう。素っ波にしては殊勝な心掛けであるな。して、そちらのご婦人は何方かな」
……素っ波にしては。
その言葉に込められたあからさまな侮蔑にさくは顔を上げるのを戸惑う。
雑渡の腕が、彼女が顔を上げるのを制するように視界にわずかに伸びてきた。
「これは、私の嫁にございまする。本日は殿へご挨拶に参ったのですよ」
「ふむ、どれ」
「んっ!!」
家老の腕が雑渡の手を掻い潜りさくのあごを掴み無理矢理引き上げた。
隣の雑渡の気が乱れるのが分かる。
「これはこれは、何処ぞの山猿かと思えば、なかなかに美しいおなごではないか」
家老のじとっとした目にさくは肌が粟立つのを感じる。
「この様な上玉。雑渡殿にはちと不釣り合いではないかのう?」
家老の腕がさくを引き寄せようとする。
仮にもここは殿中。そして相手は筆頭家老である。さくは抵抗すべきでないと判断し、ぎゅっと拳を握る。
どうせ戯れ程度のもの。大人しくしていれば時期に飽きて去るだろうと嫌悪が顔に出ぬよう目を伏せた。
「お止めくださいませぬか」
冷たい声と共に、さくの身体は引き戻され、雑渡の腕の中におさまった。
「いくら筆頭家老殿といえども、人の嫁に対して無礼というもの」
「おや、雑渡殿。男の嫉妬は見苦しい事を知らぬのか」
家老はにやにやと笑う。
雑渡の腕に力が込められる。さくは背筋に冷たいものを感じ、はっと雑渡を見上げた。
「おや。家老殿はよもや、素っ波ごときの嫁がお好きであるか?」
薄い笑いを浮かべる雑渡の声から、目から、身体から発せられるそれは明らかな殺気である。
それは激しさこそないが、相手を確実に絡めとるような薄気味悪さを感じた。さくは思わず身震いした。
そして、その殺気を向けられている家老は少し青ざめた顔をしながらも、その矜持を失いたくないのか、ふんと一声、鼻で笑う。
「笑止。美しいとはいえ、卑しい山猿など願い下げじゃ。素っ波は素っ波どうし仲良うするが良い」
捨て台詞とばかりに早口でそう言い捨てた家老は足早に廊下を去っていった。
足音が去った後、雑渡の腕はそのままさくを横抱きに抱え上げる。
「昆奈門様」
「さく、帰ろう。小姓殿、お見送りして頂いているところ悪いが、ここで失礼する」
そうして、呆気に取られている小姓を置いて、雑渡はさくを抱えたまま、一足飛びに庭の塀を飛び越えていった。
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