黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想

□初めましてお殿様
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 結崎家の無愛想な長女さくが、黄昏時忍軍忍組頭の元に嫁いでから早くも五日目の朝である。

 いつもの様に乳母やのゆのと土間で朝食の用意をしていると、入り口に立つ気配。

「おはよう」

「あら。珍しくお早いお目覚めですね」


 いつもは朝食の支度ができてからようやっと叩き起こされているというのに、今朝の雑渡ときたらしゃっきり起きているばかりか身綺麗な袴姿である。

「ほら、だって。今日は殿に謁見(えっけん)するからさあ」

「え?」

「え?」

 さくが呆けた声を出すと、同じように雑渡も呆けた声を出し首を傾げた。

「言ってなかったか」

「初耳です」

 雑渡はぽりぽりと顎を掻いた。

「……君の顔見せってことも聞いてない?」

 さくの手からぽろっと包丁が落ちる。
 ゆのがすかさず手を伸ばし、それが地に着く前にぱっと手に収めた。

「っ、そういう重要な事を何故言い忘れるのですかっ!!!」

「わあ。初めてのさくの怒声」

 雑渡は耳を押さえながらにこにこと笑う。ゆのは大きな溜め息を吐いた。












 華やかな襖絵(ふすまえ)の続く磨きあげられた廊下を小姓(こしょう)に連れられて雑渡とさくは歩いている。雑渡はちらりと、後ろを歩くさくを見下ろした。

 さくはゆのが見立てた朱鷺色(ときいろ)の小袖に身を包み、いつもの数十倍は華やかなのだが、同時にその顔にはいつも以上に堅い表情と深い眉間のしわが刻まれている。
 雑渡は思わず苦笑を浮かべる。

「顔が歪むよ」

「…………」

「大丈夫だって。意外と気さくな方だから」

「…………」

 黙ってじろりとこちらを睨むさくに雑渡は小さく嘆息した。どうやら未だに言ってなかったのを怒っているらしい。

「殿。組頭様と奥方が謁見に参られました」

一際に欄間(らんま)の美しい部屋の前で、小姓が細い声で部屋の中に声を掛ける。

「うむ、雑渡。入れ」

 襖の向こう側からの声に雑渡が手ずから襖を開けるのに、さくは顔を伏せながらも息を呑んだ。

「ほら、さく」

 雑渡の声に促されて部屋に入り、さくは三つ指を着いて頭を深く下げる。

「しかし、おぬしがとうとう嫁を貰うとはのう。あの御触書をおぬしが出した時は片腹痛かったが、良く見つけてきたものだ」

「いやあ。そろそろ、私も身を固めようと思いまして」

 頭上に聞こえる殿、黄昏甚兵衛と雑渡との世間話の様なやり取りにさくは目を見開く。
 一国一城の主にして己の最高位の上司に対し、この男はなんと、気安い事か。

「さて、奇特な嫁御殿の御尊顔を拝するとしようか。その者。表を上げよ」

 さくは小さく息を吸い込み、顔を上げた。傍らで雑渡が「え、なにその顔。」と呟くのが聞こえる。
 それもその筈。さくの口元には普段ではまず見られない、少なくとも雑渡は始めて見る柔らかい笑みが浮かんでいた。

「ほほう。…………雑渡よ」

「あ、なんでしょう」

 珍しいものを見るようにさくの顔をしげしげと眺めていた雑渡は殿の呼び掛けに姿勢を正して向き直る。

「おぬし、余を(たばか)ったな?」

「はい?」

「嫁を貰ったなどとつまらん冗談を言いおって。これ程の上玉がおぬしの嫁になどなる筈なかろうが」

「え。ちょっと殿。それ失礼ではございませんか?」

「その通りだ、雑渡。この娘御に失礼であろう」

「いや!失礼なのは私に対してですし、本当にさくは私のお嫁さんですから!!さくからもなんか言ってやってよ!!」

珍しく取り乱した様な雑渡にさくは仕方なく口を開く。

「畏ればせながら申し上げます、殿。私は黄昏時忍軍、月輪隊所属、結崎隆康が息女、さくと申します。此度、忍組頭雑渡昆奈門様の奥方に選ばれまして遅ればせながら御挨拶に参りました」

さくの淀みない挨拶に殿は、うむと頷く。

「結崎隆康の武功はこの本丸にも届いておる。まさかこの様な美しい娘御がおるとは知らなんだがの。して、そちはまことにこの雑渡の嫁御であるか?」

「ええ。まことにございまする」

「まことかの」

「まことにございまする」

「本当にい?」

「本当です…あっ」

 さくはばっと口を押さえる。思わず城主に対して気安い言葉遣いをしてしまった。

「し、失礼致しました」

 さくはさっと頭を下げた。
雑渡が庇うように頭をよしよしと撫でるのに、思わず止めろと叫びたくなるのを唇を噛んで押さえる。

「殿。あまりさくをからかわんで下さい」

「うむ。よいよい、嫁殿……さくと申したか。気にするな」

 さくは、再びおずおずと顔を上げる。
 殿はその顔をじっと見つめほうと溜め息を吐く。

「さくよ。雑渡に嫌気が差したら何時でも言いなさい。そちなら奥女中に召し上げても差し支えなかろう」

「奥は人が充分足りてるでしょう。なに人のお嫁さんを旦那の目の前で口説いてるんですか。」

「有り難い御心遣い。悼み入ります」

「さくもまともに相手しないでね」

 雑渡が呆れた様に肩を竦めているが、さくに言わせてみれば雑渡の態度は気安すぎると思うのだ。

「なんで私を睨むの。さく……」

「おや、早くも嫌われたか雑渡」

 雑渡は大げさな溜め息を一つ吐いて、立ち上がった。

「あー。もう良いですよね、お嫁さんの顔を見せたし。私達は下がらせて頂きますよ」

「うむ。夫婦仲良くな。あと、さく。奥女中の話は良く考えておくのじゃぞ」

 ひらひらと扇子を降りながら笑う殿に雑渡は疲れた様に肩を落としながらさくを連れて部屋を後にした。



※:朱鷺色(ときいろ)……サーモンピンクの様な、朱色がかった明るい桃色

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