黄昏時忍軍忍組頭の嫁は少し無愛想
□涙も流れない
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とある屋敷にて、二人の女が向き合い座っている。一人はまだ若く、もう一人は中年増程に見える女であった。
「先日、忍軍より出された御触れ、お前は知っておるかえ」
先に中年増の女が語り出した。
若い女は目前でぬらぬらと動く紅が引かれた唇にちらりと目にやる。
「忍組頭様が奥方となる女性を募っておるとか」
ほほ、と口許に添えた手の白さ、半月に細められた目は齢こそ重ねてはいてもかつての美しさを思わせる。只、それはどこか冷酷さを孕んだ美しさであった。
その後紡がれるであろう言葉を若い女は半ば諦めに近い様な気持ちで待ち構えた。
若い女の名は結崎さく。
この家の長女にしてこの家の恥と呼ばれる女であった。
「お前も、志願するのだよ」
きゅっと吊り上がった紅い唇、継母のそれはまるでそれだけが別の生き物の様に見えた。
「それは、父上の御意志でしょうか、それとも母上の、」
「お前が妾を母上と呼ぶでない」
目の前の笑顔が心底不快そうに歪むのを見て、彼女は小さく溜め息をついた。
「…つるの様のご意志ですか」
美しい継母は、つるのはすうっと目を細める。
「そりゃあ、お前、両方だよ。上手くいけばこの家は組頭の親族さ。結崎の恥さらしが漸く汚名を灌ぐ機会に恵まれたんだ。喜ばしいことではないかえ」
「お言葉ですが、奥方は組頭様御自らが審議なされ選びなさるのでしょう」
「おや、まさか自信がないとでも申すか」
「誰が好き好んで、生家の恥となった女を、後家の女を選びましょうか」
表情を変えずそう語るさくにつるのは苛立ちを隠せず眉を痙攣させた。
「もし、選らばれなんだら二度と結崎家の敷居を跨ぐ事は許さぬ。これは御父上の、当主である隆康様の命じゃ」
それは事実上の絶縁であり、その後はの垂れ死のうがどうなろうが構わぬと、言外の意味は明らかであった。
清々したとでも言いたげにふんと鼻で笑うつるのをさくは相変わらず無表情で見つめる。
「承知致しました。志願させていただきます」
静かにそう伝えるさくの姿に、つるのは再び苛立ちと嫌悪が沸々と沸き上がるのを感じる。
「お前は眉ひとつ動かさぬな。せめて嫌じゃと涙の一つでも流せば可愛げのあるものを、強情なものよの」
まこと、あの女によう似とるわ。と吐き捨てるようにぶつけられるつるのの言葉。
ぬらぬらと揺れる唇をさくはぼんやりと見つめる。
「何とか言ったらどうだえ」
「泣いた所で、追い出すのに変わりは御座いませんでしょう」
馬鹿にされている。
酷く冷静な言葉と未だに塵とも動かぬ表情をつるのはそう解釈した。
とうとう堪えきれず激昂する。
「その目でっ、妾を見るでない!出立は明日じゃ、もう二度と戻って来るなあ!!」
手元の扇子をさくの額に目掛けて強かに投げつける。その時、漸く彼女の流麗な形をした眉が僅かに歪んだ。
「下がりゃ!!」
肩で息をしながら叫ぶつるのを残し、さくは部屋を後にした。
※:後家……夫と死別した後も再婚をしていない女性、未亡人
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