いしゃたま!
□夏が訪れ彼女は
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一連の大騒動からあっという間に一月以上が立とうとしていた。
彼女は、三反田ちどりさんは、あの後、お父上の看病とお母上の精神的負担を減らすため、御実家に戻られた。
「……ちどりさん、まだ帰って来ませんね」
「いつか、帰って来るんですよね?」
最近良く後輩達の口から出るようになった言葉だ。
僕、善法寺伊作と、彼女の弟の三反田数馬はそれに曖昧に笑う。
数馬が学園に在籍している限り、親族である彼女は決して遠い存在ではない。
しかし、何時でも側にいたのと、会おうと思えば会えるのとでは、天と地程に差があるのだろう。
あれからも日々は忙しく続くし、僕と数馬は何でも無い様に振る舞ってはいるけれど、不自然に長い不在はまだ幼い彼等には寂しさと不安を感じさせているのだ。
もう文月に入った。来るべき予算会議の為に予算案を確認する後輩達の表情は少し暗い。
「大丈夫。帰って来るさ。」
彼女の様に、安心させる声を意識するけれど、やっぱり上手くいかないみたいだ。
彼等の眉毛がますます下がり、僕は苦笑を浮かべた。
僕は、予算案に目を通しながら、一月前の彼女の姿と言葉を昨日の事の様に思い出す。
アサヤケ山より帰還してから直後、学園長先生の庵に集まったのは僕達六年生と、三反田家のご両親、学園長先生含む先生方。
そして僕達の中心で、学園長先生に対して指を着き、頭を下げるのは、ちどりさん。
「私の出自の為に忍術学園の皆様には大変なご迷惑をお掛け致しました」
「そんな、ちどり君、顔を上げておくれ……」
ざわつく部屋の中、学園長先生がそう言えども彼女は深く頭を下げ続けている。
「わしは、学園は、そもそも君のお父上から君の保護を依頼されておったのじゃ、全ては想定内のこと、気にしてくれるな」
「全て、ですか、」
彼女は漸く顔を上げて、潤んだ目で小さくそう呟いた。
そして、ふうと息を吐き、では、と口を開く。
「では、その為に学園生徒の皆さんが怪我をなされる事も想定の内だと、貞明さんの本懐も、雑渡さんの過去も、全て分かっていらしたということなのですか」
「それは……」
学園長先生は口ごもる。
ちどりさんは何処か痛みを堪えるような笑みを浮かべる。
「全てが私のせいなどとは私も思ってはおりません。しかし、結果としてこの様な大きな事態となってしまったからには……私はこの学園にいることは許されません」
部屋のざわめきが一際大きくなる。
「……そんな、ちどりさん」
「ちどりちゃんは気にしなくて良いって、私は言ったじゃないか!!」
「俺達がしたくてやったことだ。」
僕の周りの六年生達は皆口々に彼女に声をかける。
彼女はそんな僕達を見て、また悲し気に微笑んだ。
「うん、ありがとう皆。でも、私はやっぱりけじめはつけなきゃと思います」
そうして学園長先生の方に向きなおり、きっぱりと言葉を放った。
「ヨイヤミ、ウシミツの忍は敗走し、事態は落着致しました。私の保護はもう不要で御座いましょう。今までお世話をお掛け致しました」
「まこと、学園を去ると」
「はい。保護という名目を伏せ、私に医学を学ぶ機会を与えて下さいました学園長先生及び、学園の皆様には感謝してもしきれません。このご恩を返す宛がないのが偲びないばかりですが、皆様の御多幸を今後もお祈りしております」
僕は彼女の横顔から目が離せなかった。
決心を決めた真っ直ぐな眼差しで、丁重な、しかし他人行儀な別れの言葉を述べる彼女の姿が酷く遠い所にある様に感じられた。
学園長先生は、苦い表情で大きな溜め息を吐く。
「……あい分かった」
「学園長先生!?」
「待ってください!私達は彼女を追い出すために戦ったのではありません!!」
「それも分かっておる。落ち着かんか、お前達」
噛み付く様に詰め寄る僕以外の六年生達を学園長先生はじろりと一瞥し、視線をちどりさんに戻した。
「ちどり君……此処は、一先ず、休職という事でどうじゃ?」
「……え?」
ちどりさんが眉を潜めるのに対して学園長先生はゆったりと微笑む。
「期間は無期限じゃ、今はご両親の側にいてさしあげる方が良いじゃろうて」
「…………。」
「学園は君が望むなら何時でも君の復帰を歓迎しよう。これからどうするかは、実家でゆっくりと考えておくれ」
「…………承知しました」
ちどりさんは消え入りそうな声でそう言うと、静かに再び頭を下げた。
「先輩、伊作先輩、」
伏木蔵の声にはっと僕は我に帰った。
「ん、どうしたんだい?」
「はい、此処がちょっと計算が合わなくて、」
「どれどれ……」
「……大丈夫ですか?」
伏木蔵が眉を寄せながら僕を見上げた。
「大丈夫。ちょっとぼーっとしていただけだから、」
「そうじゃないです」
乱太郎、左近も、似たような顔をしている。
「伊作先輩だって、ちどりさんがいなくて寂しいんじゃないかって、」
乱太郎が泣きそうな顔で言った。
ああ、本当に僕は駄目だなあと、三人の頭を撫でる。
数馬は静かに、何でも無いって顔をしている、それが有り難かった。
「そうだね。寂しいよ」
本音を素直に出す、そうして皆でしょんぼりと沈み混んだ。
でも、彼女を待つしか、僕達には、僕にはそれしかできないんだ。
僕はぎゅっと唇を噛む。
「あーらら。最近、君達暗くないかい?」
風を入れるため開け放した障子の間から、包帯に巻かれた隻眼がひょいと顔を出した。
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