いしゃたま!
□帰還
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歪んだ私の視界では、数馬の顔が見えない。
「ちどり姉さん」
でも、上は羽織を肩にかけただけの、その小さな身体に、痛々しい包帯が巻かれているのは目に焼き付いてくる。
「……ごめんなさい」
頬が熱い。
数馬の姿を直視できなくて、がくがくと震える身体をなんとか支えながら私は顔を手で覆う。
「……生きていて、良かっ、た」
漸く出せた言葉は、全部ばらばらと地面に落ちていくように聞こえた。
守れなかった。
傷付いてしまった。
私の、一番大切な愛しい子。
ざり、と地面が擦られる音に私は顔をばっと上げる。
「姉さん……」
数馬がよろけながら此方へ歩いてくる。
私は思わず後退りした。だけど、その肩を掴む暖かな手。
振りかえると、善法寺君が静かに私を見ていた。その頬に先程の暖かい笑みが浮かぶ。
彼は、私の背中をそっと押し返した。
「姉さん……ちどり姉さん、」
私を呼びながら近づいてくる、数馬のその表情にある思い出が突然甦った。
あれは、昔。
町ではぐれたまだ小さな数馬が私を見つけて必死に駆け寄ってきた、あの泣き顔だ。
「姉、さん……!」
足を縺れさせ、転んだ数馬はそれでも歯を食い縛って、また立ち上がって、此方に手を伸ばしてきた。
それまでもが、あの時と同じで、
「数馬っ!!!」
気付いたら私は駆け出し数馬を抱き締めていた。
抱き返してくるその腕の力が、小さな身体の暖かさが、胸に伝わる鼓動が、ただ愛しかった。
それだけで全てが満たされていくように思えた。
「……謝らないでよ」
震える声が耳に囁いた。
「姉さんが言ったんだよ。僕達は最高の姉弟だって、」
次々と落ちる私の涙が、目の前の小さな肩を塗らした。
「僕は、姉さんが大好きなんだ。だから、側にいてよ」
私は腕に力を籠める。
「私も、」
声は掠れている。
喉が、焼けるように熱かった。
「姉さんも、数馬が、大好きよ。」
私の弟はしゃくりあげながら、何度も、何度も頷いた。
「ちどり」
父様と母様が、私達の側に立っている。
「父様、母様…………」
数馬から手を離し、その場で頭を下げる。
「ご迷惑をお掛けして……まことに申し訳ありませんでした」
伏せた視界の端で父様が動いたのが見えた。
「いっ!?」
ごん、と、凄い音がした。
父様の拳骨が私の頭に降り下ろされたのだ。
「と、父様……」
見上げると、父様は大きく溜め息を吐いて、
「……お前を連れ帰った時は、母さんはお前をずっと抱いて離さなかった」
そこから、ゆっくりと言葉が紡がれていく。
「初めて立ったのを見たのは私だ。春の暖かい日だった。母さんは余りに悔しがってそれから三日程、私に嫌味を言い続けた」
父様の口許が穏やかな笑みを浮かべだす。
「近所では利発と評判で鼻が高かった。でも、物分かりが良すぎるお前は我儘をあまり言わなかった。だから、秋祭りの日に、玩具をねだられた時は嬉かった。あれぐらい買ってやれば良かったと、今でも思っている」
母様も、その両目から涙を溢しながらも、優しく微笑んでいる。
「初めて、熱を出した時は、私の心臓の方が止まるかと思った。また、失ってしまうのかと、」
父様は私と数馬と母様を纏めて抱き寄せた。
「ちどり。父さんと母さんは、お前と出会って後悔したことは一度もない。お前と過ごした全てが、幸せな日々なのだから」
「……父様」
「子は親に面倒を掛けて当たり前だろうが、何を謝る馬鹿娘……私達は家族だ。今までもこれからも」
父様の声が身体に響く。私はそっと目を閉じた。
「……はい」
声はもう震えなかった。
暖かい腕に、私は守られていた。
「お帰り、ちどり」
「良く帰ったな」
私の大好きな、大切な家族の優しい声に包まれて、私の目からまたひとつ涙が溢れる。
「お帰りなさい、ちどりお姉さん」
「お帰りなさいませ、ちどりさん」
「ちどりちゃん、お帰り!」
「ちどりさん、お帰りなさい!!!」
周りからも次々と暖かく柔らかな言葉が飛んできた。
「……ただいま、戻りました」
私は、漸く笑う。
数馬も私の首にがばりと抱きついた。
「ちどり姉さん!………お帰りなさい!!」
私と数馬は額を合わせて泣きながら笑いあった。
やがて、夜は明ける。
東の空は、僅かに白み始めていた。
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