いしゃたま!
□彼の場合
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さて、
私は、幼い頃から同じ年の奴等より何時も少しだけ器用で、少しだけ強かった。
だから、周りの大人達からは「優秀」だとか「天才」だとか散々もてはやされて育って来たのさ。
そうして何時の間にやら、少々他人を見下す癖のある可愛い気の無い若造が仕上がった訳だね。
そんな私は、ある日の任務で、怪我を負った。その頃の私は自分の事を本気で天才だと思い込んでいた伏があり、任務は成功したと謂えどもこの失態には苛立ちを隠すことができず、私は茂みの奥に身を屈めながら小さく舌打ちをした。
肩の傷から出る血は治まってはいたが、下手に動けばまた傷口が開く。幸いながら一応同盟国の領地まで戻ってきていたから、軽くこの辺りで寝て、体力がある程度回復したら帰ろうと考え、私は苛々としながらも仕方なく目を閉じたのだった。
が、沈めた意識は間を置かず引き戻される。
誰か来る。
人が近づく気配にほぼ無意識の内に私は目を開き、武器を握った。
……ああ、面倒だ。あいつに知れたらまた小言を言われるだろうし。
そう溜め息を吐きながら、私は揺れる茂みに目をやる。
がさりと茂みを揺らしながら、現れたのは女だった。
若い、いや寧ろ未だ少女の様にすら見える女は私を見て少しだけ目を見開く。
野武士然な私を見て叫びだしたら始末するかとその女を見下ろしたが、女は何も言わず、黙って私の肩と顔を見比べていた。
まさか、こいつは阿呆なのか、と私も密かに構えた武器をどうすることもできず、ただじっと女を見ていた。
顔立ちには幼さが残るのに、目だけはやたらと黒々強く光る女は、やがて小さく口を開いた。
「怪我をしておるのか」
「お夕様!どちらへ行かれましたか!?」
不意に聞こえたその声に私は再び構える。
連れがいたのか、ますます面倒だ。
彼女はきょろっと背後を見やり、また此方を見た。
すると、彼女が徐に手をすっと伸ばし、
「……!?」
私の足元で何かをむんずと掴む仕草をした。
そうして、再びがさがさと茂みの向こうに消えていく。
「見よ、明千代。漸く捕まえたぞ」
「っ!また、その様なものを……御休憩中にいきなり走り出すから何事かと思いましたぞ。さっさとお離しください」
「蛙、可愛いのに……」
茂みの向こうからその様な会話が聞こえてくる。
「さあ、行きますよ。日のある内に行って帰りませぬと殿が御心配なされます」
「うむ。あの、清少納言沙は言い得て妙だと思わぬか。末香臭いよぼよぼとした坊主の説教が待っておる思うと、不思議と足が進まんの」
「また、そんな罰当たりな……」
声はやがて、遠ざかっていく。
私は武器を持つ手から力が抜け、取り落とした。
「何だ、あの女」
無意識にそんな言葉が出た。
私はぽかんと口を開けている。
とりあえずは、まあ助かった。
と、私はそのまましゃがみこみ、再び目を閉じた。
どれだけ眠っていたのか、がさりと茂みの揺れる音にまた目を開ける。
軽く眠れたおかげで大分体力は回復した。
私の足元に何かが転がっている。
拾い上げたそれは、蛤の貝殻に入った傷薬であった。
「……」
私はそれを懐にしまい、一気に帰路へと走り去る。
当然ながら帰って来た私を待っていたのは小言の雨霰だった。
それから暫くして、あの女が誰であったかを知り、私は再び例の同盟国の、しかも領主の城内に直接潜入することになる。
ある日の事、私は同盟国の城に庭師の体で潜入した。
難なく城門をくぐり抜け、あちこちの木を剪定したり、城仕えの者達に愛想を振りながら、やがて城内の裏庭までたどり着く。
見つけた。
裏庭の梅の木に凭れるように座る女は、まさしくあの時の女だった。
そして、彼女は、驚いたことに城主の正室の娘であったのだ。
美姫と名高いが、同時に変わり者であるとの噂もそこそこに聞くこの女が、先日、私を見逃すような真似をしたのである。
お陰で助かったとも言えるのだろうが、残念ながら私は他人に借りを作るのが心底嫌いである。
加えて単純な興味もあり、こうして彼女を訪ね忍び込んだ次第だが、まさかこうあっさりと会えるとは思えなかった私は少し躊躇う。
遠巻きに見る彼女は膝に白い猫をのせ優しく撫でている。
意を決して近付いていくと、あの黒光りする眼が射抜くように私を見た。
「畏ればせながら、そちらの梅を手入れさせて頂きたく存じます」
彼女の前に進み出て、頭を下げる。
「うむ、すまない。退けよう」
彼女は猫を抱いて立ち上がったが、ふと、私の顔を見て首を傾げる。
「……そなたは、先日会ったな」
風が吹き、彼女の黒々とした髪を揺らす。
ぱっと見上げた彼女の瞳は臆することもなく、口許には笑みさえ浮かべている。
なんと、豪胆な、と私は思わず目を見開く。
彼女に誤魔化しは効かない事を理解した私は素直に名乗りを上げた。
「……いかにも。私は、タソガレドキの忍、雑渡昆奈門と申します。」
これが、彼女、お夕殿と私の出会いである。
彼女を訪ねて、アケガラス領内に立ち入ったのは私の独断であり、忍としては褒められるものではない。
そして、この私の勝手な行動は、彼女を、アケガラスを死出の道へと歩ませた一端でもあった。
だが、私は十数年経った今でも、この時の出会いの瞬間だけは後悔することができない。
それは、大袈裟ではあるが、私の人生を良きものと思わせるもののひとつとして、私の中で、今も残り続けている。
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