いしゃたま!
□彼女について
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「私と、お夕様、貴女様の御母様とは、奇しくも乳母を同じくしており、謂わば、兄妹の様な関係でありました」
そう語り出した日ノ村さんは、淡く笑う。
「あの頃私は、幸せでした。父がおり、殿がおり、お夕様がおられた」
「お夕様」
「あれま、明千代……ああ、今は貞明だの。鍛練は終いかや」
元服して間もない日ノ村はその呼ばれ方をこそばゆく感じながらも、裏庭の隅にある梅の枝に文をくくりつけているお夕の方の姿に眉を軽く潜める。
「未だ、あの忍とやり取りをしておるのですか」
「ふふ。なかなかの律儀者での、こうしておけば必ず二日の内に返事がくくられておるのじゃ」
「仮にも殿の御息女が、お戯れは程々になさいませ」
日ノ村の咎め立てに対して、お夕の方は悪戯っ子の様な笑みを浮かべる。
「おや、妬いておるのか貞明」
「からかうのも止めてくだされ」
日ノ村は溜め息を着きながら三歳下の姫を見る。
未だ少女の名残を残しながらもその瞳は知性と意思に溢れており、見るものに強い印象を残す女である。
「タソガレドキはこのアケガラスと同盟国じゃ、月に一回の他愛ない文のやり取りぐらいは問題なかろう」
「そうは仰いましても相手は間者ですよ。あまり心を御許しになると、」
「そう案ずるな。どちらにしろ今日で終いじゃ」
風がどうと吹き、お夕の方の黒い髪を揺らす。
彼女の何処か寂しげな表情に日ノ村は拳を無意識に握り締めた。
「お主も既に知っておろう。この梅が咲く頃には妾はウシミツとやらの側室じゃ」
国を守るため、そして領地を広げるために、他国に嫁ぐのはこの乱世において武家に生まれた女の努めである。
ましてや、このアケガラスで家督を継げる男児は側室が産んだまだ一歳の若君が只一人のみ。
若君がアケガラスの当主となるまではなんとしても国を存続させねばならない。
そこで、正室の娘であるお夕の方は十四にして生まれた国を離れ、ウシミツの同盟の質になったのであった。
「そんな顔をするな、貞明。これは妾の努め。アケガラスのため、父上のため、お前達のためであり、和平のためなのじゃ」
お夕の方は、風に乱された髪を整えながら気丈に笑う。
梅の木に目をやりながら、日ノ村に語りかけた。
「もし、私が嫁いだ後にあやつが訪ねて参ったらお主が相手をしてやっておくれ。歳も近いし、なかなか話が面白い男じゃ、良き友になれるやもしれんぞ」
「嫌ですよ」
年相応の少年の様なぶすくれた顔をした日ノ村に彼女は声を上げて笑った。
そして、梅が薫りだす頃。
お夕の方はウシミツへと旅立った。
その後、半年後に懐妊し、娘を授かったとの知らせがアケガラスにより届いた折りにあの男が訪ねてきた。
「警備兵の成りをして軽々しく話しかけるとはなんのつもりだ」
「いやあ、合っているか不安だったけどお夕殿に聞いた通りの方だったから助かった」
アケガラス城内裏庭である。
目の前でへらへらと笑う不敬な男。
タソガレドキの若い忍に日ノ村は渋面を隠しきれない。しかし、男はそれを気にもしていないようににこりと笑う。
「お初にお目に掛かります貞明殿。タソガレドキ忍軍の雑渡昆奈門と申します」
「知っておる。お夕様から良く聞いておったからな。畏れ多くも一国の城主の御息女と密かに文のやり取りなど、どんな男だと思うておったわ」
「おや奇遇。私もお夕殿から貴殿の事は良く聞いていましたよ。で、逢い見えた御感想の程は?」
「なんとも、へらへら、なよなよとした男だの」
雑渡はその言葉に軽く声を上げて笑う。
その頭は日ノ村よりも二つばかし高い位置にあり、それがますます気に食わなかった。
「何用で参ったのじゃ。場合に寄れば斬り捨てるぞ」
げんなりした面持ちで雑渡を見上げる。
「まあ、怖い……お夕殿にこれを送っては下さらぬか」
雑渡が懐から取り出したのは小さな巾着である。
「なんだ、それは」
「まあ、開けて下され」
不審に思いながらも袋を開くと、日ノ村の掌に硝子玉が一つ転がり込んだ。
「ビィドロか」
「お夕殿の御出産の祝いに、他愛ないですが、他に良いものが思い付きませんでして………でも、こう、」
雑渡は手を頭上に軽く翳す。
「日に翳しますと綺羅綺羅しくて綺麗で、こういったものはお好きな人でしょう?」
「…………ふん」
彼女の好みの認識も適格でいっそう忌々しい。しかし、日ノ村は懐にそれを納めた。
「あい分かった。手数ではあるがお夕様に免じて届けてやろう」
「有難う御座います」
「しかし、お前が自分で届ければ良い話ではないか」
「うーん。いや、それは無理です」
雑渡は苦笑いしながら顎を掻いた。
「タソガレドキはウシミツとあんま仲良くないんですよ」
「ああ、そうであったな」
「本当に不便な、嫌な世の中ですね」
雑渡が、梅の枝にそっと指を這わせながら言う。
「……そうかもしれん」
思わず口に出た。雑渡の視線に気付き、日ノ村は口許に手をやり咳払いする。
「しかし、同盟国とはいえ、他国の間者が易々と気軽に出入りするのは頂けぬ。用が済んだら速く帰れ」
「ふふふ。そうですな。また来ますよ」
「貴様、人の話が聞けぬのか。来るなと言うておる」
雑渡はそれでも柔らかに笑う。
「お夕殿が言っておったのです。我々は良き友になれそうだと、」
「願い下げじゃ」
しっしっと手を振る日ノ村に雑渡はにやにやと笑いながら去っていった。
そして本当に時たまに訪ねてくるようになったのだから呆れた話である。
「ふん。今日は馬番の真似事か」
「そんな怖い顔をなされず」
笠の下で笑う雑渡。
この男はいつもへらへらしている。聞けば自分より二歳も歳上だというのに年長には到底思えぬ不真面目さだ。
「まっこと、おぬしの国は暇だの。こうしてのこのこと遊びに来るとは」
「はあ、お陰様で」
「……」
正直迷惑な話であるし、素っ波の身でありながら身分違いの不敬な態度に時折斬り捨てたい衝動にもかられるが、何故だか実行には至れず、毎度こののらくらとした雰囲気に飲まれてしまうのであった。
そして更に悔しいことに、この男は話が上手いのだ。
「そうそう、聞いて下され。この間、近江に仕事に行ったのですけどね……」
「……うむ」
こうして来る度に各地で見た珍しいもの、市井で起きたり、体験した不思議な出来事等を面白可笑しく語るものだから、いけないとは思いつつもついつい聞き入ってしまうのだ。
「しかし、貞明殿は反応が薄くてつまらんですな。お夕殿などはとても喜んでおったのに」
「ふん」
聞き入ってる事を覚られたくなく、攻めての足掻きとして日ノ村は常に聞き流している体を装おっていた。
「まあ、良いや、でですね……っ、」
喉に唾が詰まったのだろう。
雑渡が、少し噎せ、咳をした。
「失礼。いや、今日は空気が乾いて良くない」
「ああ、待っておれ、いま水を、」
日ノ村が井戸に向かおうとしてはっと足を止める。
雑渡がにやりと笑っていて顔に熱が籠るのが分かった。
「っ何故、私が貴様に水をやらないかんのだ!!」
「えー。下さいよ。喋りすぎて喉乾いた」
「……まったく」
肩を怒らせながら井戸に向かう。
いつもこんな調子である。不真面目で面妖で、雑渡は自分とは真反対の男であった。
しかしながら何処かでこの男が来るのを心待ちにしている己もいて、それが日ノ村にはどうにも悔しいのであった。
そうして、また半年が過ぎた頃。
「戦、ですか」
父からの通達に日ノ村は動揺を隠せない。
「ああ、殿の御下知である」
「っしかし、父上!ウシミツにはお夕様が!!」
「お夕の方様とその御息女様には此方にお戻り頂く。出陣は三日後じゃ、準備をしておけ」
有無を言わさぬその言葉に日ノ村は唇を固く噛む。
それではいったい何の為に彼女はウシミツに嫁いだというのだろう。「和平のため」と真っ直ぐな眼差しで語るお夕の方を思い出し、日ノ村は拳を強く握り締めた。
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