short

□真っ直ぐに、突き刺さる。
1ページ/1ページ


 彼女が住む集落から麓の町までの道行きは、渓谷の隙間を縫うようなそれなりに険しい道だが、道中に丁度、馬を休めるのに良さげな開けた草原(くさはら)がある。野花が咲く時期には、女達が町で売ろうと花摘に来たり等もしているその草原だが、今の時分は青々とした草が鬱蒼と生い茂っているだけの場所だ。

 彼女は、ほんの数日前に、この草原にあるものを捨てた。
 それは、自棄っぱちの行動であった事は確で、事実、後悔をしているから、こうして朝の早くから彼女は青々とした草を分けいってその捨てたものを探し回っているのである。

 草いきれが肌にまとわりつく様な感覚にじわりと汗が滲む。
 確かこの辺りだったと思われる場所を掻き分け、腰を屈めて目を凝らすも、彼方も此方も同じ様な草に囲まれ、本当にこの場所なのか自信が無くなってくる。いや此方だったか、それとも彼方の方だったかもしれない、と、うろうろと歩く。見つからない。
 ずっと屈めていた腰が痛くなり、身体を起こせば、自分が思っていた以上の距離を進んでいた事が分かり、彼女は驚くと共にやっぱり見つからないなと沈んだ気持ちになった。

 風が吹き抜けた。俯いた彼女の視界で草が微かな音を立てながら揺れる。
 膝上と、だらりと垂らした手に擦る草の感覚。彼女の視界が、ぐにゃりと歪んで潤む。
 零れそうなものを良しとしない彼女は、手の甲をぎゅっと目元に当ててそれを押さえつけた。少し頬に擦り付けられたそれは草の匂いがする気がした。
 もう無いなら仕方がない。
 初めから無かったんだと思うしかない。
 彼女はそう頭の中で繰り返し唱える。仕方がない、仕方がないと呟きさえしたが、足はその場に縫い付けられでもしたかの様に動かず、彼女が帰路に着く事を許そうとしなかった。

 草原の中で、暫くただぼんやりと立ち尽くしている彼女。どれぐらいそうしていたか、やがて、ふっと彼女の面が上がる。
 彼女の背後、少し遠くで何か音がする。
 草が揺れる音だ。ただ、風では無い。
 誰かの、草を掻き分ける音だ。
 地面を踏み、草の根本を折るような音がする。
 彼女は振り返る。
 息を呑んだ。

「なまえ!」

 彼女の名前を呼ぶ、そこにいた、草原の中を歩いてくる彼を見て、彼女は息を呑んだまま固まっている。

「なまえ、ただいま!」

 彼が、快活さを人の形にしたかの様な風情の笑顔を見せて、ぶんぶんと手を振った。
 その腕の力強い動きを見て、彼女の縫い付けられた足が漸く動く。
 よろける様に、前へ。
 縺れる様に、一歩。
 転がるように、また数歩。
 気がつけば彼を目指して彼女は走り出している。

「しゅ、守一郎、守一郎! 守一郎!!」

 彼の名を呼びながら、草の中を走っていけば、あと数歩の所で、草の根に足を取られ、転げかけた。

「おっと」

 転げかけた、彼女の身体を、彼の腕が支えた。

「……本物だ。生きてるや」

 彼の腕を掴み、彼の胸元に肩を凭れて、それが暖かいことや脈打っていることを確かめて、彼女は溜め息と共にそう呟く。その声は微かに潤んでいた。

「生きてる、って……」

 見上げた先の彼は、戸惑いたっぷりに眉を八の字にしている。

「え、と。俺……死んだことになってんの」

 八の字眉の彼の問い。彼女は彼の胸を軽く拳で打つ。彼は「おふっ」と、何とも言えない咳をした。
 彼女はぎっと、彼を睨み上げる。

「たった独りで、もう落ちなさった御城に御籠城なさる等言い出した馬鹿が! 十日を過ぎても帰らなかったら当たり前だろうさ!」
「お、おお……」
「里ではもうあんたは死んだもん扱いなんだからね!」
「そ、そうか」

 彼女の剣幕と勢いに、彼は顔を仰け反らしながらも、彼女の背に添えられた腕はそのままそこにある。

「おーだのそーかだの! 他に言うことは無いんかい!」

 その彼の腕を払い落として、彼女は尚も怒鳴った。
 彼は、払われた腕を所在無げに浮かして、おろおろとしていたが、やがてはたと表情を固めて、彼女の頬に手を伸ばした。

「心配を掛けて、ごめん」

 彼が触れるそこは、熱く湿っている。

「全くだよ」

 頬を流れる涙を、拭われるままに、彼女はそう吐き捨てる様に言った。
 彼女は頭を振って、彼の手から少し離れる。
 
「なまえは、ここで何をしていたんだ」
「別に、探し物をしてただけさ。見つからなったけど」
「一緒に探してやろうか」
「馬鹿」

 踵を返して歩き出す彼女に、数歩遅れて彼もまた歩き出す。

「……守一郎」
「うん」
「……ごめんよ」
「何が」

 彼は、彼女の背中を見る。こんなに小さかったろうかと、彼は思う。

「私、あんたがくれた櫛、捨てたんだ」

 彼女は、彼を振り返った。
 彼女は、気まずげな様にも怒っている様にも見える。
 彼が呆けた顔をすれば、彼女の表情はまた僅かに歪んだ。

「捨てたのか」
「うん。ここに捨てたんだよ。それで、探しに来たけど、見つからなかった」
「気に入らなかったのか」

 彼女は深々とした溜め息を吐く。

「馬鹿」

 彼は、昔から良く、彼女にそう罵られている。

「どうせ、あんたの事だから、何も考えず土産のつもりでくれたんだろうけどね。お陰でこっちは御後家さんになった気分だったよ」
「そ、うか……」

 彼は益々分からないと言いたげに呆けている。

「ごめん」
「意味分かってないのに謝るんじゃないよ」
「櫛。俺、探そうか」
「いい」
「……新しいのを、やろうか」
「いらない」

 彼女のすげない返事に、彼は少し悄気た様子である。

「下手な約束とかより、ちゃんと生きてて、今、此処にいる方がよっぽど良い」

 彼女は、彼の元に歩み寄り、悄気た彼の、少し曲がった背を軽く叩く。

「どんなことがあったのか、沢山聞かせておくれよ」

 そう彼女が笑った。彼は眩しげに目を眇て、それをそのまま笑顔に変える。

「ああ」

 彼と、彼女は、二人並んで、風に揺れる草の中を歩き出すのだった。

.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ