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□ほどけて、揺れた。
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 ふと目が覚めた瞬間に、何と無く今はまだ、日の出前なのだと思った。
 と、いうのは、閉じた瞼の裏がじとりとした青の様な黒の様な色をしているからだ。
 と、理由をつけて、それから、寝起きの体がじわじわと汗を滲ませ出すのを感じ、煩わしいと思うが、同時に違和感。

 頬に何か触れている。
 直ぐ近くに、何かがいる。

 不審や恐怖等を感じる前に重たく貼り付いた瞼を開けたのは、寝起きの内にまだ頭がぼんやりとしていたのかもしれないし、ぼんやりとした頭の端で、その気配の、微かに触れている柔かそうな細い何かの、その正体についての予感があったのかもしれない。

 と、予感について思ったのは然し、結局、その正体が何であるか確かめてからであったから、それは『予感』等では無くて、きっと後付けの錯覚なのだろう。

「……帰っていたのか」

 俺の枕元に立ち、腰を折って此方の顔を覗き込んでいる我が甥に掛ける声は寝起きのせいで掠れて、喉の粘っこさに気付く。
 掠れた声でも、その息が当たったのか、甥の長い髪が、俺の頬をさわさわと揺れた。そうか、触れていた何かとは此れだったのか。
 甥は、喜八郎は、黙って頷いた。
 先程よりも大きく髪が揺れる。
 退いてくれ。と、手を揺らしたら、喜八郎は黙ったままひょいと折った腰を上げる。

「御盆だから……ただいまなまえ」

 喜八郎の声が、高いところから降ってくる。

「お前は、亡者だったのか」

 起き上がれば、部屋の中は暗く、やっぱり夜明け前では無いかと、込み上げてくるままに欠伸をした。
 喜八郎は、その場に静かに腰を落とした。
 甥と叔父とはいえ、年は片手で数えられる程度にしか変わらない。殆ど兄弟みたいなもんだ。いや、顔だけを並べれば、兄弟にもあまり見えないかもしれない。俺も、こいつの母親つまりは俺の姉者も、割かしに地味な顔立ちをしている。姉者の婿殿は良く言えば凛々しい顔立ちではあるが、優美と言うよりは雄々しい。
 喜八郎の睫毛の長い大きな眼や、見事な曲線を作る眉や、通った鼻筋が何処からやって来たのか。爺さんによれば、大婆様に似ているらしい。南方の国から来た旅芸者で、それはまあ美しかったそうだ。
 その美女の容姿が、嫡子、孫をすっ飛ばして曾孫に受け継がれるのも不思議な話である。

 喜八郎を見る度に、その事を思いだし、顔も良く覚えていない美しい大婆様の事をぼんやり考える、そして、やはり綺麗な顔だよなあなんて事を思うのである。因みに、今も喜八郎の顔を俺はぼんやりと見返した。俺の冗談に対しては何の返答も無い。
 喜八郎は、無口だ。
 かといって、気詰まりな雰囲気を作る訳でもないし、特に静かだとか大人しいという印象は無い。寧ろこいつはごんたくれの部類に入るだろう。ただ、興味が無いと判断したことにはとことん素っ気ないのだ。

 薄暗い中に目が慣れてくれば、喜八郎が顔や身体中の彼方此方を泥土で汚しているのに気づいたが、それを横目に見つつ、部屋の入り口近くを見る。何やらがあるなと思ったのと、それが妙に凄みのある様な雰囲気を振り撒いていると思ったからだ。

「大したお供え物だなおい」

 大きな加毛瓜が二つ、その上に根の着いた山百合の花がわさわさと置かれ、更にその上には野兎が横たわっていた。当然それは生きているものでは無いが、眼がまだ潤みをたたえていて、狩られてから殆ど時間が立っていない事が分かる。そうして、瓜のすぐ横には、ちぎりとられた百合の葉に乗せられた雨魚が三尾。

「花車みたいでしょ」

 喜八郎の表情が漸く動いた。土の着いた頬に得意気な笑みを浮かべている。こいつは何時見ても土で汚れている。

「盆に殺生をすんな」

 花車。と、そう言われてそれをまた眺めれば、兎の眼や、雨魚の鱗がまた潤みを増したかの様に見えて、一転して俺の声はカサカサとしていた。山百合の香りが、鼻をつく。

「ちゃんと食べれば無駄にはならない。狐や熊にやられるのと、変わらない」

 そうぽんと投げ捨てる様に言った喜八郎は、俺と、『花車』を見比べる。
 恐らくは、俺に色好い反応をして欲しかったのやも知れないが、どうにもやはり、その手土産からは『花車』の楽しさよりも、何処か腹の底がひんやりとする様な、物悲しい様な、凄まれてもいる様な、そんな気分にさせられるのだ。
 だから、俺は、「うぅうん」と、如何にも難しげな、然し聞きようによっては感嘆にも聞こえる様なそんな唸り声を上げるしかなかった。

「兎やら雨魚やらは分かるとして、瓜はどうしたんだ」
「此所に来る前の日に、農家を手伝ってきたら貰った」
「だからそんなに泥だらけなのか」
「ん、んー……」

 喜八郎は、少し決まり悪げに首を捻る。多分、この部屋から出た庭にも穴が幾つかあいてるのだろう。

「穴堀り、楽しいか」
「此所の土の感触、懐かしかったよ」

 喜八郎が笑えば、柔らかげな髪が背中や肩で揺れる。

「髪、そんだけ長くて暑くねえのか」
「なまえは、短い方が良いと思う?」

 だったら切っても良い。と、そう笑う喜八郎に、別に構わないと答えた。
 頬に触れていた、髪の毛先の感覚が、ふと甦った気がして顔を撫でれば、じとっと汗が掌に貼り付く。

「今日は、暑くなるな」
「昨日も、暑かったよ」
「ああ」

 喜八郎が立ち上がって、部屋の戸を開ければ、青い様な薄闇から微かな風が吹いてくる。

「他の者への挨拶は、日が昇ってからにしろよ。さっきみたいなんは肝が冷える」
「うん。あれはなまえだけにしかしないよ」
「そりゃ、光栄なこった」

 微かな風は、喜八郎の髪を揺らして、瓜の上の山百合の葉と兎の毛を揺らして、そして俺の汗に湿った肌を少し冷やす。

「花車、か」
「なまえ」
「なんだ」
「僕、それに乗って来たんだ」

 亡者だからね。と、喜八郎はにやっと歯を見せる。

 日が昇る、のが、惜しい。
 と、ふと思った事を、俺は込み上げたでかい欠伸に流した。

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