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□瞬きしては、光る。
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「平の家の坊っちゃまが、帰って来とりはるよ」
と、朝の散歩から帰って来た婆様が川端にしゃがむ私を見下ろしながら言いはった。のを、私は黙って見返した。
「平の家の坊っちゃまが、帰って来とりはるよ」
「いや、婆様。聞こえへんかった訳とちゃいます。今はうち、忙しいさかい、」
「ああ?なんや聞こえへん」
婆様はじろりと私を見下ろしながら、もう一度「帰って来とりはるよ」と、言う。
私は、洗濯物の手を止めて、分かった。という意味で、身振り大きくゆっくりと首を縦に振った。ご機嫌伺いに行けと、そう言いたいのは良く分かっている。
「滝様は、お屋敷ですか」
婆様は私以上に大きな仕草で頷いた。
「せや、六蔵とやっとうしてはる」
「せやったら、滝様も忙しいですやろうし、その内に」
「ああ?なんや聞こえへん」
婆様の耳は大層都合良く出来ている。
然りとて、強情さは婆様譲りの私は、ただ、にこりと一つ笑みを返して、再び洗濯を始めるのだった。
「あんたは、ごうつくやし忙しない子やわほんまに」
「貧乏暇無して言いますやろ」
土地もちの豪士の家とは言え、実態はささやかなもので、殆ど百姓紛い。事実は事実だったが、今の自分の物言いは妙にひねた感じやったなと、何時もながらではあるが、その事に少し嫌な気分になる。
近くの岩に腰を下ろした婆様の背筋は真っ直ぐピンと伸びている。その見目言動は逞しいこそすれ、婆様の産まれは平の御家と繋がりのある都の公卿様だ。その為か、逞しさの奥に何処か品の良さというものがある。
自分と違って、と、これまたひねた考えが巡ってきた。
それもこれも、みぃんな、滝様のせいやわ。
と、胸の内で独り言つ事は更に更にひね曲がっていて、私はエイ何糞めと力を籠めて洗濯物をジャブジャブ洗い上げるのだった。
「滝様の事やもん。ほうておいても、その内に来あはります」
「ほうか。来て貰える内が花やね」
エイ何糞めと、洗った着物をパンパンと音を立てて振るのだった。
「なまえ!」
ほうら、来あはった。
勢い良く振り返っても、私の名を呼んだその姿はそこに無かった。
というのも、予想通りや。
「シュタッ!」
と、口で音を着けながら目の前に現れたのが、件の平の家の坊っちゃまで、昔馴染みの、そして所謂、私の許嫁の、滝夜叉丸様だ。近くの梢から飛び降りて来たのだろう。良く見えへんかったけれど。
「滝様。よう分からん事はせんといてぇて。何度言うたら分からはりますのん」
「何を言うなまえ。華麗な登場だったろう!」
しなやかな長い指を通して浮き上がった髪が日の光を受けて煌めく。星がちらちらとする様なそれに、つい目を細めてしまって、それはそのまま笑顔に変わってしまう。
そうすれば、滝様もにこりと顔を綻ばしはるのやから、私は俯きそうになるのを堪えて、ひね曲がった腹の虫を密かに踏み潰すしか無かった。
「久しいな。なまえ」
久しいとは言うけれど、つい年明けに年始の挨拶を交わしたばかりだ。
ああ、でも木々はすっかり青々としている。早いような長かったような、よう分からんなあ。と、私の目はまた細くなった。
「ええ、滝様も、お元気そうで何より」
「ああ、私だからな」
婆様は何時の間にか岩にはおらず歩き去っている。
滝様は口許をむずむずとさせている。私は盥に洗濯物を纏めて手に抱え持った。
「今。うち、忙しいんですよ。お話聞くんは片手間でも構いませんやろうか」
「なまえは何時だって忙しそうだ」
「貧乏暇無して言いますやろ。滝様は優雅でよろしいわ」
潰したと思ったひね曲がり虫が、また顔を出してしまった。
私の手から当然のように盥を取り上げた滝様は、困った様に眉をハの字にする。
素直過ぎる。優し過ぎるお人やと思う。ほんまにこの人、忍の者目指してはるんやろうか。と、何時も思う。
「勤勉は良いことだぞ」
「滝様がそうですもんね」
「当然だ!私を誰だと思っている。この滝夜叉丸。産まれながらの天才でありながら誰よりも努力を厭わぬ男なのだ!そう、例えばこの間などは……」
洗濯物の盥を抱えて、綺麗な髪を翻しながら歩き出す背中は堂々として、暫く見ない内にまた広くなりはった様に思う。
平の御家に産まれながら、当主の道は端から無く、御家の為に忍を志して、許嫁はいまいちぱっとしない豪士の家の娘。
ともすれば、不憫な方と思われそうな身の上でありながら、滝様は何時でも、昔から、なんというのか、滝様だった。
素直過ぎて、優し過ぎて、ひたむき過ぎる。
そんな滝様が昔から、いや、最近になって特に、眩しくて仕方が無い時がある。
そういう時に、ひね曲がりが出てきてしまうのだ。自分と比べて、勝手に臍を曲げている。なんともはや、可愛いげの無い女だ。
滝様は本当に、不憫なお人やわあ。
と、そんな時、思う。
「お話、ようけ聞かせてぇな」
責めてもの素直さを引き出して、滝様に、そう言った。
いや、私がそう言う前に滝様は、自分が何れだけ素晴らしいのか、勝手に話し出している。
自分というものに、疑いの無いお人だ。
話すことも、姿も、綺羅星みたいなお人だ。
「なまえは幸せ者です。そないに凄いお人と一緒になれるなんて」
「それは本気で言ってるのか」
「本気やしぃ」
「なまえは本気かそうでないのかが分かりにくい」
ひね曲がり虫を腹に飼って久しい私だ。
そんな可愛いげの無い女を側に置いても、尚も滝様は綺羅星みたいな笑顔を惜し気もなく向けてくれる。
「然し、まあ、どちらでも良いことだ。なまえが、私に言ってくれている事なのだから」
「ほんま、滝様は呑気でよろしいわ」
滝様の隣を行く私は、責めて、姿勢をぴんとさせてみる。
ぴんとして、思い切り手を伸ばして、そしたら、綺羅星に手が届いたらええなあ。
届くんやて、思えたんなら、ええなあ。
と、そんな事をぼんやりと思いつつ、私は何時もながら長くなりそうな滝様の話を聞きながら歩いている。
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