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□ゴマ豆乳鍋・冷凍のしゅうまい・抹茶アイス
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兵助が言うには、豆乳鍋に入れるものは極力シンプルで良いらしい。
『然しな、青ネギ。あれは必ずいるんだ』
「分かった、分かった。他に何かいる?」
耳に心地良いテノール、精緻に均整の取れた発音。真剣そのものな口調。
スマホの液晶から流れてくる兵助の声を聞きながら私は生鮮食品のコーナーへと歩いている。
勝手知ったる自分のアパート近くのスーパーとは違うので少々目が泳ぐ。なんか凄い真剣な顔で卵を買ってる二人連れがいるな、とか、イチゴが安いなとか、そんな事をうだうだと思いながら野菜売り場を見回ればそう時間も掛からず青ネギは見つかった。
「お酒とか、」
と言っても私も兵助もあまり飲み着けないのだが。
『実家から貰った日本酒がある』
「本格的ぃ。でもさ、鍋だけ?」
『え』
惚けた声が聞こえて、暫し沈黙。
『鍋の時は……鍋を食べるだろう……シメなら雑炊、とか』
沈黙の後から聞こえてきたのはしどもと珍しく歯切れの悪い声で「ありゃ」と私は思う。
「ああ、違う、っていうかごめん。多分私ん家だけの文化的なやつかも」
『なまえの家は鍋だけじゃないのか』
「うん。常備菜っていうのかな。昨日のおかずとか、簡単につまめる煮物やら佃煮やら蒲鉾やら置かれて、机ぎっちぎちに狭くして食べるの」
小さな笑い声がした気がした。
ちょっと恥ずかしくなる。
なんというか、実家は家族も多いし、酒飲みも多いから必然的にそうなるのだ。
二人で食べる鍋ならばそういらないじゃないか、考えれば分かるだろ私。
『それは、楽しそうだな』
「いや、うん……まあ、別に良いよ。全然、普通に鍋だけで」
一応女子の端くれ、食い意地が張ってると思われるのは不本意だ。
私がもだもだと答えれば、またも、沈黙。
『分かった。じゃあ、悪いけれど青ネギだけ買って来てくれ』
「うん」
通話を切って、青ネギとかをレジへと持っていく。
やはり食い意地が張ってると思われたか。止めろ磯巾着頭、仲間になりたそうに此方を見てくるな。
脳内から悪友の姿を追い払い、目指すは王子様のアパート……王子様は大袈裟というか恥ずかしいな。
然しながら久々知兵助という男。見た目だけなら完璧に王子様タイプなのである。本人はその呼ばれ方は嫌いらしい。まあ、私も脳内なのに自分で呼んでて恥ずかしいくらいだし、そりゃそうだよなとは思う。
なので、私のバイト先で来る度毎回『ソイラテ』を頼む客だった彼が、私達バイトの間で『ソイラテ王子』なる渾名を着けられていたのは、何の因果か『王子の彼女』となった今でも内緒の話だ。
スーパーの袋を引っ提げ、踏み切りを目指して歩く。
踏み切りを渡って、駅から歩いて15分ばかし。良い立地だよなあ、と思う。
何せ近くにコンビニまであるのだ。兵助は「現代の便利さというものを詰め込んだ様な場所」と言っていた。
「……ん?」
今、コンビニの前を通った訳だけれど、妙な既視感を覚える人影が目の端に映った。
それに目を戻す前に、コンビニの前に置かれた自転車に目が移る。
紺色の車体、意味あんのかってくらい小さい籠に、シングルスタンド、しゅっとした感じでありながら金属部の錆び付きは結構年季の入っている感じなそれは兵助の自転車、だと思う。
シンプルイズザベストを体現していながらもスタイリッシュとかそういう拘りは殆ど無い兵助。友人から貰ったのだというタウン向けおされ自転車だろうが錆び錆び傷だらけにしても全く気にしてないのである。
チェーンのフレームに大きく渡る傷はやっぱり兵助の愛車、だとは思う。
それをぼんやり見ていたら、コンビニの自動ドアが開いて、
「あ、なまえだ」
「やあ、兵助」
やっぱり兵助だった。彼は私を見て、その羨ましいぐらいに長い睫毛に縁取られた目をぱちりと瞬いた途端、にっと笑って手に下げた袋を軽く振る。
悪戯っ子みたいなドヤ顔。なんか良いことでもあったか、豆腐とか、豆腐とか、だけど、足取り軽く近付いてきた兵助の第一声は私の予想とはちょっと外れていた。
「しゅうまい、好きだろ」
「は?豆腐ではなく?」
「それは聞くまでもない」
聞くまでもないって、それは『お前の意見は聞いてねえ』と同義ではと首を傾げれば、兵助はまたドヤっとした笑顔になる。そうして見せてくれた袋の中には、冷凍のしゅうまいが二袋。
「机はいっぱいにはならないかもしれないが、あまり沢山あっては折角の胡麻豆乳鍋が味わえないからな」
「いや、兵助ん所の机はただでさえ小さいし……大丈夫でしょ」
「……どうした?」
顔を覆った私の薄暗い視界にテノールが響く。
「しゅうまいごとき、ときめくとは……不覚」
「なんだ、そんなに好きなのか」
「違うし、いや、違わないけど……ありがとう」
「うん」
顔を上げれば、また「うん」と小さい子みたいに頷いて兵助は笑う。
「青ネギ、買えたか?」
「うん。後、アイス買ったよ」
「抹茶?」
「抹茶」
「じゃあ、早く帰ろう」
夕方になればまだ少し寒いから、そう直ぐには溶けないだろうに、兵助は小さな籠に青ネギとアイスとしゅうまいを詰め込んで、ついでとばかしに私のトートバックもそこに乗せて歩き出す。
不覚、と、呟けば、兵助は軽やかな声で笑うのだった。
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