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□それには調度良い朝でしょう
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 先輩に朝のジョギングへ週三ぐらいで連れ出される様になってから、もう半年になる。

 先輩と言っても、今の大学のという訳ではない。高校時代の先輩だ。
 部活動が同じだったのか、いや、それも違う。私は卓球部で、先輩はバレー部だった。同じ体育館を分け合う部活同士ではあったけれど、直接話したことは無かった。
 ただ、補欠とレギュラーの合間をうろうろとする様なイマイチぱっとしない、然し日本全国津々浦々ごまんといるような部活生の一人でしかなかった私と違い、先輩は物凄い有名人だった。
 県大会ベスト10位にもかすらない凡庸なバレー部を、その悪魔的身体能力と求心力で全国大会の新星へと引き上げたその呼び名は『コートの怪物』(その驚異的身体能力を活かしたプレイスタイルから)、または『イケどん王子』(インタビューで良く使っていた口癖から。……例:『イケイケどんどんに勝ち進みます!』)。
 雑誌やテレビにまで取り上げられ、そのままプロ入り、オリンピックまで行くかと言われた絵に描いた様な天才選手。

 それがまさか、酒屋の店員をやっているだなんて、私じゃなくても、誰も思っていない事だろう。例え、風の頼りで、彼が事故にあった事を知っていても。

 今でも先輩の、あの大声が耳にこびりついている。

「おいお前!卓球部のみょうじなまえだろ!!」

 祖父の誕生日にお酒でも買ってあげようと何の気なしに入ってみた酒屋でいきなり背後からそう、声を掛けられたのだ。飛び上がるという表現があるが、人間驚くと本当に飛ぶ。怒鳴られたと思い、訳も分からず「すみません!」と叫んでしまった。
 振り返れば、其処にいたのはかつての『我が校のスター、七松小平太』だったものだから更に驚いた。

「……な、七松先輩、ですよね」
「ああ、久し振りだなあ。なまえは元気だったか」
「は、はい、お陰様で……」
「そうか、それは良かった!」

 まるで親しい間柄だったかの様な口振りと笑顔に戸惑う。そして、昔と変わらない、遠巻きでも圧倒された妙な迫力を初めて間近にして、私は完全に飲まれてしまい、ぼんやりと先輩を見返した。

「此処で働いてらっしゃるんですか」

 と、思わず聞いてしまってから後悔する。ハーフパンツから覗く筋肉質な脚の、その片方に稲妻の様に渡った白っぽい傷跡に嫌でも目が行った。風の噂は本当だったらしい。
 だというのに、先輩は私のあからさまに引き釣っている様子などお構い無しに、

「この店は親戚の家がやってるんだ。去年の暮れに脚をやってしまってな。動くに支障は無いが、選手は無理になった。馬鹿だから今更大学にも行けんわで、此処に拾ってもらったんだ」

 そう、あっけらかんと、世間話みたいに言ってのけてしまった上に、なはははと笑うものだから、私は「はあ……」と曖昧な返事を返すしかできなかったのだった。

 そこからあれよあれよという間に、本当に何時の間にか私は、先輩と連絡先を交換していて。
 食事に連れて行かれ。
 飲みに連れて行かれ。
 買い物に連れて行かれ。
 海に連れて行かれ。
 山に連れて行かれ。
 遊園地に連れて行かれ。
 ありとあらゆる場所に連れて行かれ。
 果ては先輩の御友人達に紹介され……。
 あれ?これはまさか付き合っているのでは、と思う頃に(友達には「いや、遅くね?」と呆れられた)、「朝に一緒に走らないか」と誘われたのだ。

 其処から、半年だ。

 付き合っているのかどうかは、未だに分からない。そうぼやいたら、件の「遅くね?」の友達は白目を剥いた。

 相も変わらず、先輩は私を色んな所へ連れ回すし、先輩の御友人達の集まりにも呼ぶのだが、先輩は何時までも私を「高校時代の後輩」と見ている様なのだ。
 簡単に言えば、先輩が私との間に醸し出す雰囲気には、色気が無い。のである。

 今朝も、巨大な鮫がカップルを襲いまくるあの映画のテーマを鳴り響かせるスマホを取り上げる。
 時刻は毎回5時10分前後に来る先輩からの着信。
 殆ど目覚ましだ。とは言っても最近は身体が覚えてしまい、着信よりも早く起きて準備が済んでいる。
 通話にすれば、やり取りも毎回同じ。

『おはようなまえ!起きてるか?元気か?』

「起きてます。おはようございます。元気ですよ」

『なら良かった。じゃあ、走りに行こう!』

「はい。では、また後で」

 こんな感じだ。
 食事に誘うにも、遊びに誘うにも、凡そこのパターンに「なんか食いに行こう」やら「水族館にイルカ見に行こう」やらの変化がある程度で、私の答えはイエスorはい。
 爽やかで明るいが、色気は無いというのを、これで何となくご理解頂けるのならば幸いだ。

 朝の、まだ薄暗い中を、駅と反対方向へずんずん早歩きで行けば、十分くらいで、毎回お馴染みの運動公園に辿り着く。
 先輩は何時でも既に着いていて、それから二時間ばかし、二人で黙々と運動公園内のジョギングコースを走り続ける訳である。
 林道を走り抜ける先輩は風みたいに軽やかで、フォームには一分の無駄も無い様に見える。それでも、本人が言うには、昔に比べればかなり落ちたらしい。
 それを言うなら、卓球部を引退してからはスポーツのスの字もない只の女子大生の私はどうなると言うんだ。追いていかれないのに精一杯だ。

 ただ、今日の私は一味違う。
 半年にして、漸くとでも言うのか。悪く言えば友達の入れ知恵。いい加減はっきりさせんかいと尻を叩かれたのである。
 前を走る背中を睨みながら、私は頭の中で、友達から色々言われた事を振り返るのだった。

 そうこうしている内に、ジョギングが終わり、先輩は息を整えながらゆっくりと速度を弱め、歩き出した。

 私は小走りで、先輩の隣に並び立つ。

「あのですね。七松先輩」
「うん?なんだ、なまえ」
「私、この間、その……彼氏ができまして」

 嘘は苦手だ。
 できましての『て』が裏返った様な気がして、首がじわっと熱くなる。

「カレシ?」

 初めて聞いた謎の言葉を言うみたいな発音でそう言った先輩はきょとんと首を傾げた。

「はい。彼氏です」

 だから嘘は苦手だ。
 この繰り返しは果たして良かったのか分からない。
 もう、どうとでもなれ。と、先輩の反応を待つ。すると、先輩は、

「そうか。それは良かったな!」

 と明るく、あっけらかんと笑って言うのだ。
 その時の私の気持ちは、驚いたのと、ガッカリしたのと、泣きたくなったのと、でもああやっぱりと腑に落ちたのと……。
 全部が一つになったデカい溜め息を吐く私を、先輩が不思議そうに見ているのが目の端に映り、また泣けてくる。
 勝手だろうが、けしかけた友達を恨みたい。
 何が、『彼氏ができたと嘘ついて反応見てみろ』だ。こんなのショックしか生まないじゃないか。

「……あー、えっと、それでですね。こんな風に七松先輩と会うのは、もう止め、ようかと……」

 最早、半分自棄だった。
 投げやりにそう言えば、ふと、先輩が立ち止まる。
 気が付けなくて、私が数歩前に出てしまった。
 どうしたんだと振り返れば、ポカンと口を開けて此方を見ている。

「……先輩?」
「………………そ」
「そ?」

 ポカンと丸く開いた先輩の口から出てきた、良く分からない音。

 そ……そ……ドレミファソ?


「それは駄目だあっ!!!!」
「うぇっ!?」

 鼓膜が破れるかと思うくらいの大声で怒鳴りながら、先輩が詰め寄ってきた。その勢いに思わず、再会したあの日の様にすみませんと謝りそうになるが、そんな私の声や驚きも、この先輩は飲み込んでしまうのは、やっぱり変わらない。

「そんなのは駄目だ、駄目だっ!!なまえが私と会えなくなるのなら、彼氏なんて作るな!!!」
「え、いや、その、は!?」
「良いか。なまえは彼氏を作るな。分かったか?」
「えっ、ちょっ、せんぱ」
「分かったか!?」
「わっ………分かりました!」

 先輩のそれは迫力の乱用だと思う。
 ガクガクと頷けば、先輩は途端に、剣幕をぱっと緩め。「うん!」と笑顔を一つ、私の頭をぐしゃりと撫でる。

「よっし!後十周走るぞーっ!!」
「は!?」

 そうして、何が何やらの私をおいて、『イケどん王子』斯くあるべしの掛け声を上げながら元気いっぱいに走り出した。
 ……あれの何処が王子なんだ。人の話を聞かないにも、人の都合を無視するにも程がある。

 あっという間に見えなくなった背を見て、私はまた溜め息を吐く。この溜め息はなんだろう。

 そうだ。私だって、悪い。
 先輩が何故、部も違う目立たない後輩の名前を直ぐに呼ぶことができたのかとか、先輩の御友人達が私を見る目の暖かさとか、そんな事を不思議に思いながらも、確かめたりはしてこなかった。

 私ばかりが追いかけているわけでは無い。
 これは、先輩と私の終わりの無い鬼ごっこだ。
 私が先輩をつかまえるか。
 先輩が私をつかまえるか。

 私はもう一度溜め息を吐く。

 幸い、今日は木曜日。講義は午後からだ。時間はまだまだある。

 今からのスタートでは、きっと追い付くどころか、背後から追い抜かれるのだろう。

 私は、それでも良いやと朝日に光る林の中を思いっきり駆け出す。

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