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□とある霧の日に
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郊外というか、ちょっとした山奥にあるこのキャンパスは気候の加減で酷い濃霧に包まれる日が年に数回ある。

「おい、なまえ。見てみろあれ。」

「……んだよ。」

私の集中を軽々しくぶったぎったそいつを睨めども、そいつは知ったこっちゃねえ風情で早く来いと私を手招きする。

今日はその年に数回の濃霧の日で、楽し気に顔を歪ませているそいつの背後にある窓の向こうはぼんやりと白い。

溜め息を吐きながらも、筆を軽く洗って、そいつの立つ窓際へと向かうのだから私も大概にお人好しだ。

「だから、何って……ん、勘右衛門かよ。」

見下ろす先には我らデザイン科が誇るプレイボーイ勘右衛門と、傍らに立つしゃんと姿勢の良い女の子。

「もう一週間だ。あいつの口説き期間最長記録塗り替え。」

工芸科の同回らしいその女の子はスタコラと歩き去り、それをチョロチョロと追い掛ける勘右衛門が霧の中に消えていった。

「三郎、あんた。人の恋路を気にしている暇あったら制作したら?合評間に合うの?」

「どっかの誰かと違って俺は計画的だから。」

「あー、はいはい。凄いですねえ天才鉢屋三郎君。じゃあどっかの誰かはセコセコ制作するからもう話し掛けないでねえ。」

私はさっさと机に戻り、筆を取り直す。合評まで後一週間もない。仕上げるべきパネルは残り2枚だ。

「なあ、勘右衛門が後何日粘るか賭けねえ?俺、後5日前後で諦めるにダッツ2個。」

「だから話し掛けるなと、私は後一週間ぐらいは粘って上手くいくに3個。」

ダッツに負けた、というか研究室に他に人がいないのが悪い。暇をしてるこいつを相手する奴がいないのだ。

「上手くいく?根拠は?」

「……女の勘。」

「え?何処に女がいるって?」

「あんたそういう所なかったら普通にモテると思うよ。」

「失礼な。俺はちゃんと女らしくしている奴は女扱いしてやるぞ。」

「そういう所だよ。」

濃霧のせいか、部屋に二人しかいないせいか、酷く静かだ。

勘右衛門は上手くいくと思う。
今までに無いくらいに真剣でなりふり構ってない雰囲気が滲み出ているから。

何と無く複雑な気分。別に勘右衛門が好きだったとかそういうのじゃないけれど。
あいつは私を端から対象に入れてなくて普通の友達として付き合っていて、あいつのプレイボーイっぷりを仲間内で散々ネタにしてきたから。

ああ、こいつって本気になるとこうなんだってのを、初めて目の当たりにして、恐らく私は、軽いショックを受けてるのだ。


「なに不貞腐れてんだよなまえ。ブスになんぞ。」

「喧しいわ。」

「お前、勘右衛門がお気に入りだったもんなあ。」

「それで三郎の事が一番嫌いだね。」

三郎はまだ何も見えない白い窓の外を見ている。私の胸の内を透かすような意地の悪い事を言うこいつは然し、矢鱈と神妙な表情で、石膏像みたいな横顔はぴくりとも動かない。

なんというか、今日の気候よろしく掴み所の無い奴だ。

「なんつーか、今、海の底っぽくね?」

「勘右衛門って、イソギンチャクヘアーだしね。」

「勘右衛門は関係ねえよ。」

ちょっと不機嫌な感じの声を耳にしながら、私は絵の具を混ぜていく。
今描いているものが調度、海がモチーフだ。つくづく私の思考を読み取る奴だ。いや、考えが似ているのかもしれない。

「ダッツはさ、あの限定の奴と抹茶は入れといて。」

「勝つ気満々かよ。」

「勝つよ。」

霧に包まれた窓を背に立つ三郎は、怒っている様な悲しんでる様な、嬉しそうにも見える様な、良く分からない掴み所の無い表情だった。


とある霧の日に



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