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□とある雪の日に
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「やあやあ、なまえー。」
「……どちら様?」
工芸室の入り口に立つそいつを見た私は、一瞬、冗談抜きで本気でそう思った。
目の前に立つ彼は、なんだろう、一言で表すとしたら『もっこもこ』だった。
「いやあ、寒いじゃんかあ。」
「かといってマスクまでする?北国みたいな名前してる癖して。」
「北国?」
「北風小僧の」
「それかんたろーな。」
かんたろーならぬ勘右衛門はマスクの下からモゴモゴくぐもった声で笑う。
「あんたそれで講義受けてんじゃないでしょうね。」
「大講義室ってエアコンの利き悪くない?」
私は溜め息を吐く。流れる息は白い。
「何枚着てんの?」
「んっとー、ヒートテック二枚っしょ、タートルネックTとネルシャツとセーターと、下はレギンスと靴下二枚とヒートテックジーンズで、上からツナギ着てパーカーとダウンジャケット。あ、ネックウォーマー可愛くない?」
そして頭にニット帽とマスクときた。
「着膨れ妖怪。」
「もこもこ勘ちゃんと呼んでくれ。」
ネックウォーマーは派手なピンク色で恐らく女の子からのプレゼントなんだろう。デザイン科の女子は可愛い子が多いとか考えてる自分が腹立つ。
勘右衛門は私がやんわりと出している不機嫌な空気など知りもせず勝手に椅子を取り出して座り込んだ。
否、然し、不機嫌なのだろうか私は。
むくむくの熊みたいになりながらも、さみいさみいと呟きながら爪先をこちょこちょ動かしている勘右衛門を見ると良く分からなくなる。
不機嫌に近いけど、それよりは冷たくない感じ。
「女の子ってなんでこんな日も薄着でいられんだろね。」
「私割りと着てる方だけど。」
私のダウンベストは味もそっけもないダークグレーだ。オッサンみたいな色と先日こいつの友人が言った事を私はまだ許しちゃいない。
「いや、お前じゃなくて、スカートにうっすいタイツでさあ。うちの科の女子ヤバイよ」
「私は女の子じゃないのか。」
「ひねくれた見方止めてよなまえちゃん。」
「ちゃんづけ止めろ。」
パシャと音。何時の間にか取り出していた。
勘右衛門はカメラの向こうから目をぎゅっと細める。
「なんでこのタイミング。」
「さあねえ。」
デザイン科の尾浜勘右衛門が、工芸科で陶芸制作をする私を被写体にする様になって半年だ。へらへらとしたチャラ男、女誑しとして学内でも有名なこいつが頭を下げて撮らせてくれと言いに来た時は、何かの罰ゲームなのかと思わず聞き返した。
それから二週間に渡る攻防の末に私が折れた形で今に至る。
何だかんだで私も物作りを志す者の端くれとしてこいつの創作に対する熱意につい心を動かされたのが当時の心境だ。
今も、マスクと帽子で顔の殆どが隠れているのに、真剣な表情をしている事が、唯一見えている目の感じで分かる。
その目が、私は、ほんの少し、好きなのかもしれない。
それが、今の心境だ。
「雪、降ってるよ。」
「そう。」
「今年は積もりそうだ。」
「そう。」
「マジ寒い。」
「そう。」
といっても、勘右衛門の撮影の間は私は制作中だから彼の目を見ることなんて殆どないんだけど。
カシャと時折聞こえるシャッター音と勘右衛門の他愛ない呟きをBGMに、私は粘土をゆっくり引き上げる。
「それ終わったらさ。暖かいもの飲みに行かない?」
「そうね。」
勘右衛門の声が、緊張を孕んでいるみたいに震えていて、きっと寒さのせいかもしれないけれど、その声は耳に甘い。
この器には白釉を使おう。
冷たくて暖かい様なとろりとした白色。そんな色が良いと思いながら、私はこの着膨れ男を雪の中に連れ歩く姿を想像して密かに笑いを抑えた。
とある雪の日に
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