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□馬じゃなくて羊らしい
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私の中で最も古い、上ノ島一平君に関わる記憶は一回生後期での毛刈り実習だ。

ところで、農大畜産科に入った時点で女子力というものはゴリゴリと削られるのであるが、それを漸く納得するのが最も遅くても一回生後期辺りらしい。

どんなにメイクしようがヘアアレしようが見てくれるのは馬のみどり号だとか牛のたまき姉さんだとか豚舎の豚達(名前は特に無い)という事を悟るのである。
因みに私はそれ以前の段階で色々と諦めた側の女子でして、スッピン、一本結び、ジャージかツナギの三拍子揃った畜産科女子っぷりである。
更に因みに、スッピンというのは素顔で別嬪の事を言うのだ、とつい数分前、件の一平君にあの澄んだ円らな曇り無き眼で言われた為に、対後輩向けの割と穏やかな表情に反して私の心は三つ折りぐらいにはなっている。

さて、話が逸れてきた気はするが、まあそう言った女子力駆逐空間という名の農大畜産科において、何故か他の女子共を差し置き『可愛い』を欲しいままにしていた歴とした男子がいた。

それが上ノ島一平君なのである。


愛玩動物の様な、あの漫画の『ゴマちゃん』を彷彿とさせるハニーフェイスに加えて当時はまだ華奢かつややムッチリなマシュマロボディと来た。
我々第……何期だ、忘れた。とにかく我々同期の女子共は、そんな彼の男子をも魅了する姫男子っぷりに完敗を認めざるを得なかったのであった。



そんな一平君は、一回生後期羊毛刈り実習において、伝説の荒くれ羊ルル子のクリティカルキックにより軽く二メートル吹っ飛ばされたのである。

「上ノ島あぁあああ!!」と響き渡る野太い男子学生どもの叫び声と「うるせえ羊がビビるだろうが!!」という男子学生よりも余程煩い先生の怒鳴り声と散り散りに走り出す羊達とヤムチャな一平君といった地獄絵図は後に『上ノ島羊事変』として我ら畜産科の語り草になるのであった。




「えー。今日は宜しく。もう君ら先輩らに聞いたろうけど、僕が今回の毛刈り実習助手その1の『上ノ島羊事変』の上ノ島一平な」

バッチリすぎる程の掴みである。
まだまだ初々しい一回生達はドッと沸き立つのだった。つか「うぇ〜い」とかマジで言う奴いんのかよ。
一平君に軽く小突かれて私も申し訳程度に頭を下げる。

「『上ノ島羊事変』の目撃者、みょうじなまえです。今回の実習助手その2です。皆さんくれぐれもルル子には気を付けてください」

いや、だから「うぇ〜い」て。拍手するとこなんか其処は。年くったとはいえ荒くれルル子様、未だ健在なのだけれたども。
院生の私にはどうにも最近の若い子のノリは分からない。



さて、前述の通り、一回生後期はまだギリギリ女子が女子の矜恃を保ってられるデッドラインである。

数名の女子達の視線はちらちらと私の隣に立つ一平君に注がれている。

それもその筈というのかなんというのか、男の娘系もしくは姫男子系であった我らがマスコット上ノ島一平君。件の『上ノ島羊事変』を機に『覚醒』したのである。
妥当ルル子を胸に日々筋トレ&体力作りに邁進し、そうして早丸四年が過ぎ、今や彼は立派なマッスル君であった。
成長期は終わった筈であるのに気合なのかなんなのか背まで伸び、精悍な若者という言葉がよく似合う体躯だ。
然しながらあのゴマちゃん系ハニーフェイスは健在なのであるから、まあなんだ、所謂ギャップ萌えという奴だろう。

本人はそれに自覚があるのか、無いのか。あのきゅるんと澄んだ瞳で一回生達を見渡し、にっこりと笑った。

「 因みに僕ならルル子は止めれるけど 、なまえさんにいらんちょっかい掛けた男子学生は助けないのでそのつもいたたたた!!」

「ひゅーひゅー」とか古典的過ぎるぞ後輩達。

尻までつねりにくいぐらいに硬くなっている筋肉野郎とこういう仲になるとは当時の私もルル子様だって思いも寄らなかったろう。

女子力なんてとうの昔に駆逐されたとか言いつつも、私もなんだかんだで女子の端くれな様で、一平君の余計な台詞は私の表情を見て出してきたものだって事に思い至る。

こんな女の何処が良いんだかと、何時も思うが、それを口に出したら彼は愛らしい顔に萌えないレベルでギャップ激しい圧を私に向けると分かっているので、一先ず今回の実習助手の微々たるバイト代で彼と何を食べに行こうかなと思考を切り替えるのだった。


馬じゃなくて羊らしい

某獣医マンガのオマージュってかパロディってか。


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