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□おじさんと紅葉でも見に行こうよ。
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私は必死に前を楽しそうに歩く大きな背中を追いかける。
「ほらほら、なまえちゃん。後ちょっとだから頑張って。」
「ちょっ、雑渡さん……、」
私、みょうじなまえはそこそこ大手の取引先のそこそこ偉い人と一緒にハイキングをしている。
どうしてこうなった。
そこそこ偉い人こと雑渡さんと私の関係は、数週間前の商談中に突如言われたラインのやり方教えてよからに始まる。メル友ならぬライン友達だ。
一緒に来ていた先輩を今更ながらに恨む。
何が「こいつが教えますよ」だ。へこへこしやがって社畜め、いや私もか。
私は漸く雑渡さんの隣に並べた。少し高いところにある横顔は楽しげに微笑んでいる。
なんとなくこの人は偉いから云々じゃなくて逆らいづらいものがあるんだよなあ。
そんなこんなで細々とラインのやり取りを続けていたが、先週末の事。
〈来週の日曜日、良かったら何処かに出掛けませんか。〉
というお誘いとそれに添えられたピコピコと動く世界一有名な猫の女の子。
いつの間にスタンプを覚えたんだこのおじさんは。
その似つかわしくない可愛らしさに、日々の忙しさに癒しを求めていた私はついついほだされ〈良いですよ。何処に行きましょう?〉と返信してしまったのだ。今思えば疲れて変なテンションだった気もする。
「にしても、なんで山なんですか。」
雑渡さんの提案は紅葉狩りだった。そりゃあ、時期的にはどんぴしゃだろうけど。
「人は、おじさんおばさんになると山に登りたくなるんだよ。」
「はあ。」
「なまえちゃんだって時期にそうなる。」
「なりませんよ。私は、アーバンな女ですから。」
雑渡さんは、はははと声を上げて笑う。何時ものスーツじゃないアウトドアな感じの服は全く似合っていないのだが、慣れた感じで山道を歩く彼は全然息が上がっていない。
「こんな山道を歩ける雑渡さんは、まだまだ、おじさんじゃないと思います。」
「なまえちゃんが若いのに体力無さすぎるんだよ。アーバンなら仕方無いけど。」
くつくつと口の端から笑いを漏らす雑渡さんにちょっと苛っときた。
駄目だ自分。この人はそこそこ大手の取引先のそこそこ偉い人だぞ、蹴飛ばしたいとかそんな、
「ほら、着いたよ。」
「…わあっ!!」
必死に蹴りたい背中的衝動を押さえていた私は、雑渡さんが示す先にそんなことも忘れて見とれる。
石段の灰色、鳥居の赤色、そして、紅葉の、
赤色、橙色、紅色、臙脂色、朱鷺色、
抜けるような青い秋空に、噎せかえるような赤色の洪水。
「良いでしょ。此処。」
雑渡さんの言葉に私は何度も頷く。
「あの、月並みな表現しかできませんが、凄く、凄く綺麗です。」
雑渡さんは、すうっと目を細める。
「充分すぎる表現だ。」
「上の方も綺麗だよ。」
「早く行きましょう。」
雑渡さんと一緒に、その神社の長い石段を登る。現金なもので、山道のしんどさが吹っ飛んでいる私は軽々と登っていく。
「やっぱり。若いよ君は。」
雑渡さんが少し後ろから私を眩しそうな顔で見上げた。
石段を登りきって、神社の前まで来れば、周りの色づいた山も一望できた。
私達は暫くそこに佇みながら、ただ静かに黙って景色を眺めている。
「紅葉ってなんで赤いんだろうね。」
雑渡さんがふと沈黙を破る。
「え、知らないんですか?」
博識な印象があったから驚いた。
「それはですね。簡単に言いますと、葉を緑色に見せてる葉緑体が、日照時間の少ない秋になると、老化現象を起こして、その時にアントシアンっていう色素が、む。」
雑渡さんが紅葉のメカニズムについて解説する私の口に、手に持っていた紅葉の葉を当てた。
「私はね。」
人が説明しているときに何するんですかと言おうとした私は、ふと、真剣な、でも優しい眼差しと目が合い口を紡ぐ。どきりと心臓が跳ねた。
「私は、紅葉が恋をするからだと思うよ。」
私の唇に深い橙色の葉を当てながら雑渡さんは囁いた。
「夏が過ぎて、天高く、遠くなってしまった秋空に恋焦がれて、その身を真っ赤に染めるんだ。」
「……ロマンチック過ぎます。」
私は口を開く。煩い心臓の音を気付かれたくなくて、ふいっと顔を反らせば、紅葉は口から離れた。
「人は、恋をするとロマンチックになるんだよ。」
雑渡さんが手にもっているその小さな紅葉を自身の唇に当てるのが目の端に見えた。
「ちょっと!!雑渡さっ、」
「なまえちゃんも時期にそうなる。」
ふわりと柔らかく、雑渡さんが笑った。
一瞬で、私の顔は火がついたみたいに熱くなる。
「紅葉みたいだねえ。」
そんな風に楽しそうに笑う。そこそこ大手の取引先のそこそこ偉い人。
その背中に向かって、とうとう私は足を蹴りあげた。
おじさんと紅葉でも見に行こうよ。
拍手ありがとうございます。雑渡氏と、秋の紅葉狩のお話です。