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□悪ふざけだと思ってくれ
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随分深く掘ったのね。

と、穴の底から聞こえるその声は先程突き落とされたというのに何ら怒っておらず、白く浮き上がる顔はうっすらと笑みさえ浮かんでいた。


「なまえちゃん。」

「先輩と呼びなさい綾部。」

「なまえちゃん先輩。」

彼女は片眉をあげて苦笑いをする。悪戯っ子に対する大人の顔だ。気に食わない顔だった。彼女は僕が突き落とすことなど予測していたんだろう。

風がゆるく吹いて僕の頬にあたる。でもそれは穴の中の、僕が作った穴の底にいる彼女には届かない。

「出してくれない?」

「駄目ですよ。」

僕のその言葉も予想通りなんだろうか。彼女は微かな笑みを口元にゆるりと浮かべたままこちらを見上げている。顔の白さがまるで死人の様だ。さながらここは彼女の墓。そう、彼女の墓だ。

「ここに貴女はずっといれば良い。貴女が欲しいものは何でも僕が差し上げます。寂しいというなら僕がここでずっと話をしてあげましょう。だから、何処にも行かなくて良いんです。ずっとこの穴の中にいましょうよ。」

彼女は落ちてくる僕の言葉をじっと聞いている。優しく笑った。それはそれは、優しすぎて悲しいくらいだった。

「そう。それは素敵ね。」

ああ、ほら。僕の懇親の、でも臆病な僕が冗談の体で隠した気持ちをそのまま冗談に変えてしまう。
貴女はそういう人だ。僕はそれを納得する、ふりをできるくらいには大人なんだ。全部を冗談にできるなら、きっと誰も傷ついたりしない。しない筈なのに、

「目に砂が入りました。」

「そう。」

彼女はざりざりと穴を這い上がる。普通の町娘なら到底できないことだ。それが悔しかった。いっそ、彼女が只の娘だったらどんなに良かったろう、でもそれは彼女じゃない、僕が欲しかったものじゃないのだ。

「お前は良い奴だったよ、綾部。」

僕の濡れた頬を優しく撫でて、彼女は穴から出ていく。僕は彼女の泥がついた指を目に焼き付ける。

風が、春を含んでどうと吹いて、彼女を遠くへ連れ去る。

僕は、貴女が好きだったよ。

「さようなら。」

返事は返って来なかった。

悪ふざけだと思ってくれ

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