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□犬猫を見たら話しかけるタイプ
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朝6時20分。これは毎朝必ずのこと。おそらく毎朝、彼の自宅から始まり、駅前、そこからカエル公園へのお決まりのコース。
そして私はそのコース上中盤駅前コンビニが待機ポイント。
待ち合わせをしているというわけではない。私は只、彼が薄茶の犬を引き連れてるんたるんたと歩いていくのをコンビニの雑誌コーナーから窓越しに眺めるだけ。これが私、みょうじなまえの最近の日課なのだった。
この日課の概要を聞いた方々は皆一様にこいつはストーカーではないかと不安と恐怖と嫌悪の混じった反応を成されるかもしれない。だが、勘違いして頂いては困る。私はあの様に愛するものに恐怖しか与えないような一方的克つ自己中心的な生き物などではない。
ただ、見ているだけでいいのだ。
彼が薄茶の(恐らくミックス)犬氏と共に楽しそうに歩いていく姿を見る。それだけで満足で一日が暖かいもので満たされるんだ。
その為にわざわざ通常よりも20分も早い電車に乗って通学する甲斐があるというものだろう。
彼の名前は竹谷八左ヱ門君。奇しくも同じクラスなのだけれど、生来口下手な私は話しをしたことは殆どない。そして犬氏はキュウちゃんという。八左ヱ門の八から『九』ということだろう。なかなかウィットに富んでいると思う。
さて、今日もやって来ました。
興味の無い漫画雑誌をカモフラージュに窓の向こうに目をやる。
朝方はかなり寒くなってきたからでしょう。彼は最近首もとにフリースのネックウォーマーを巻いていた。明るいオレンジ色は彼に良く似合っている。そしてキュウちゃんは本日もとても可愛い。
ああ、それにしても、ただなんてことない犬の散歩であるのにどうして彼とキュウちゃんはあんなに楽しそうなんだろう。
こちらまで微笑ましくなる。あ、決してにやけている訳ではないです。
彼を見送ってからコンビニを出て私は駐輪場に向かう。
彼はきっと今日も遅刻ぎりぎりなんだろうな、とふふふと笑みを漏らしながら自転車をこぎ、学校へ向かうのだった。
そもそものきっかけは彼の連れているキュウちゃんだった。
通学途中。水筒を忘れたのに気づいてやむを得ずコンビニでお茶を買おうと入った矢先。チャッチャッと爪が地面をかく、あの犬が歩く独特の音が近づいてくるのを感じ、私はほぼ反射的に振り返った。
私は動物が好きだ。特に犬や猫の類いは道で見かけたら声をかけてしまうぐらいに好きである。どんな子が歩いているのだろうとわくわくしながら窓の外を見た。
(おおっ……可愛い。)
と心の中で呟きました。毛並みが何とも言えずもふもふとしていて、そして、何より私が釘付けになったのはその子の表情だった。
犬が笑顔を見せるというのは犬好きの常識だけれど、その子の笑顔は正にパーフェクト、幸せにはち切れんばかりの楽しそうな笑顔だった。
この子はとても愛されている子だ。瞬時にそう思った私は漸く飼い主の方に目をやる、そして驚愕した。
(た、竹谷くん?)
それは、同じクラスの明るい、悪く言えば煩いともいえる男子だ。そして今度は彼の姿に私は釘付けになったのだ。
足元を歩くその子を見下ろす彼の顔も凄く嬉しそうでその目はとても優しい。彼が心からその子との散歩を楽しんでいるのが全身から伝わってきた。
時おり見上げる小さなパートナーににっと笑いかけながら彼と犬は楽しそうに去っていった。
ああ、これは素晴らしいものを見た、と私は思った。
それ以来時間を合わせて彼とキュウちゃんの観察を続けているというわけなのだ。
ところで、コンビニの定点観測のみの私が何故犬氏の名前や彼等の散歩コースまで知るに至ったかというと、決して調査等をしたという訳ではなく、彼と彼の友人の会話を聞いたからである。
ほら、今日も漸く登校した彼を友人達が囲んでいる。彼等の声は大きく良く通る。
「おは。ハチ、今日もギリセーだな。」
「しゃーねーだろ?毎朝散歩しないとキュウが可哀想だし。」
「また、カエル公園まで行って帰って登校するコース?」
「お前、ちょっとあの犬に甘すぎんじゃないの?」
これが少しずつパターンは違えど、ほぼ毎朝恒例の会話。『キュウが可哀想 』というのが、とても彼らしいなと思いまたにやけ、いえ、微笑ましく思いました。
「てか、ハチ。お前今週のジャンプ当番じゃなかったっけ。」
「あっ!いっけね……」
「はっちゃんったらもう。」
「悪い悪い……」
楽しそうな会話だな。というより楽しそうに話している竹谷君を見ているのが私は楽しいんだ。私は文庫本を片手に遠巻きにそれを見ている。
「……!」
まずい目があった!?反らす?いやそれは感じが悪い?どうする!?
「あ、そうだ。みょうじさん、ジャンプとか買ってたりしない?」
「ぅえっ?……うっ、ううん。」
変な声が出て、赤くなった顔を隠したくて俯きながらぶんぶんと首を振った。
「お前、ばっかだなー、みょうじさんが買ってる筈ないだろー。」
「あれ?おかしいな……うん、ごめんな、変な事言って。」
「……ううん。」
その内に先生がやって来て、皆、ざわざわと座りだす。
私は千載一遇のチャンスを逃したかもしれないと、一人で悔しがっている。
あの竹谷君が話しかけてくれたというのに、私が発した言葉と言えば、「ううん。」だ。なんという体たらくってかコンビニで興味なくともジャンプ買っておけば、会話の糸口だって、
「おーい、みょうじ。号令かけてくれ。」
「あ、はい!すみません。起立、」
先生の声で我に反った私は慌てて立ち上がった。こう見えて実は私は委員長なんだ。本当は今学期こそは竹谷君と同じ生物委員会を狙っていたのに、クラスの皆の推薦に押切られてしまったのだった。
「よっしゃ!コンビニ行ってくる!!」
「ジャンプついでに、豆乳買って来てくれ。小銭渡すから」
「3分以内に戻ってこなかったらからあげ奢りな。」
「無茶言うなよ!!」
放課後、帰ろうと廊下を歩きだす私の背後で竹谷君が勢い良く走り出す。
今から近くのコンビニに3分なんて大丈夫なんだろうか。やはりわたしが朝買っておけば良かった。
「みょうじさん、さよなら!」
「うっ、さっ……さ、よなら。」
いきなり通り過ぎがてら声をかけられて心臓が止まりかけた。
にっと笑顔を残し、彼は先生に怒られながら爆走していった。
私はドキドキする心臓を押さえながら、今日は良い日だなと思う。正直に言います。にやけています。
だから浮かれすぎていたのだろう。翌朝、私は寝坊した。
といっても遅刻をする時間ではありません。問題はいつもの彼とキュウちゃんの散歩の時間に間に合わないのだ。
仕方ない……昨日が幸運過ぎたんだと自身を納得させながら、学校の最寄り駅の改札を潜った。
「あ、キュウ、ちゃん。」
どうしたことだろう。いつものコンビニの店先でキュウちゃんが繋がれている。ふりふりと尻尾をふりながら周りに笑いかけているキュウちゃんを朝の忙しい往来は気に止めず通りすぎていく。
思わず、ふらふらと近づいていきしゃがんで目線を合わせると、キュウちゃんは尻尾をちぎれそうなくらいにふる。
キラキラした目に思わず顔が緩んだ。
「おはよう、キュウちゃん。どうしたの?ひとりなの?」
人目があるので小声で話しかけた。わふ!と返事をするかの様にキュウちゃんが鳴いた。
「そっかあ。竹谷君はどこいったんだろうね?」
わふわふ!とやはり返事をしてくれる。お利口さんだ。
「撫でてもいいですか?」
了承を得て首回りをモフモフする。ああ、可愛い柔らかい。良く毛並みが手入れされているのがわかる。
「竹谷君は、キュウちゃんのお兄ちゃんは良い人だねえ。キュウちゃんは幸せ者だよ。」
「わぅ!」
「…みょうじさん。」
「どぅおっふ!!?」
まさかの竹谷君がコンビニから現れました。
思わず変な叫びをあげてしまいまった。会話してるとこ聞かれた!?どうしたら!?
「た、たたた、たけっ!?」
「みょうじさんさあ、今日もしかして寝坊した?」
「へっ!?」
テンパッてる私に対して明るく竹谷君が話しかけます。
「いや、みょうじさんて、毎朝ここのコンビニにいるじゃん?今日はいなかったからどうしたのかと思って。」
「え、ああ。うん……寝坊した、かも。」
はは。そうか。と笑う竹谷君を直射できない私はキュウちゃんをひたすら撫でています。まさか!バレていたとは!!ああ、どうしよう変な奴だと思われたら。
「みょうじさん、犬好き?」
「う、うん。好き。犬も、猫も、生き物は好き。」
「そっか。俺もだ。」
心臓がばくばくと煩い。キュウちゃんは私の膝に手をおいてふんふんと鼻を鳴らしている。
「良かったなあ、キュウ。撫でてもらって。みょうじさんもなんか飼ってるの?」
「うち、マンションだから。」
「そっかあ。」
キュウちゃんの首紐を柱から外して竹谷君が歩き出す。私も何故か自然と隣を歩く事になった。ど、どうしよう!?心の準備が……
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「……みょうじさんさ。」
「はいっ!?」
ああ、もう落ち着け自分。竹谷君は頭をかきながら笑っている。ああ、やっぱり変な奴だと思われてるかもしれない。
「いや、生き物が好きなら、生物委員に入ってくれたら良かったのになって……ああ、でもみょうじさんてしっかりしてるからやっぱり委員長の方が良いのかなあ。」
「はっ入るよ!!」
思わず叫んだ。竹谷君はびっくりした顔で私を見るから顔がどんどん赤くなるけど頑張って言葉を繋げる。
「三学期は生物委員になる。なりたいってずっと思ってた、から。」
「そっかあ。じゃあ、三学期が楽しみだなあ。」
満面の笑みを浮かべる竹谷君に私も笑みが浮かんだ。竹谷君はふっとしゃがんでキュウちゃんを撫でる。キュウちゃんはわふわふと嬉しそうに尻尾をふった。
「えっと、俺。こっからまだこいつの散歩すんだ。」
「うん。私は自転車だから。」
「うん、じゃ、またね。」
また。か、良い言葉だなと思う。
見ていただけの世界が繋がったというのだろうか。
心臓が相変わらず煩いし、顔も何だか暑いけれど、私は今、遠巻きに彼等を見ていた時よりも暖かい幸せに包まれていた。
「うん。また、学校で。」
手をふるとにかっと笑って振り返してくれる。そんな彼が私には眩しくて仕方ないのだ。
犬猫見たら話しかけるタイプ
始まってもいないけど、少女漫画的なベタのが竹谷君には似合う気がします。