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□触れども引けるものなし
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「三郎!髪を切れ!!」

「断る。これは綿密な計算により雷蔵と同じ長さをキープしてるものだ、てゆーか帰れ。」

「違う私の髪!!」

昼日中からの凄まじいピンポンの連打に扉を開けたらなまえが凄い形相でそんな事を言う。今日は日曜日だ。うん。見なかった事にしよう、そうしよう。俺は扉を再びばたんと閉めた。


ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン……

煩い。マジで煩い。もう一度扉を開けたら何かを叫びそうに口を開けるもんだから俺が先に言葉を被せた。


「タカ丸さんとこ行け。」

「今の私にはあのイケメンに髪の毛触って頂くなんて刺激が強すぎる!爆破四散する!!」

「勝手に爆発しろ。」

「鬼畜!冷たい!!見てよ!この顔見て何も思わない訳!?」

「すげーブス。」

「うわーん!!バカーッ!!!」

なまえは玄関先でしゃがみこんで泣きだす。止めろ、止めてくれ。本当にこいつ今すぐ爆発しないかな。爆発スイッチなまえにはどこにあるんだろ〜と某学習塾のCMの替え歌BGMを脳内に流しながら泣き続けるこいつをげんなりと俺は見下ろす。

2部屋隣のOLお姉さんがあらあらまあまあみたいな笑顔で俺たちの前を通り過ぎ、近所のおっさんがにやにや笑いながらマンション前の道を通り過ぎるのが見えた辺りでもう限界だった。

「とにかく入れ。」

ぐいっと腕をひっぱりなまえを部屋に入れる。そのままリビングまで連れていってソファーに座らせる。

「……喉乾いた。」

しゃくりあげながら呟くなまえに水道水のコップをほらと差し出すと、流石に騒がしくした罪悪感があるのか文句も言わず飲みだした。案外しおらしい奴だ。

「二杯目はコーラでよろしく。」

前言撤回。麺つゆでも飲んでろ。

「……で?また振られたんか?」

最高潮にイライラしながらも話を聞く姿勢になる俺は我ながらお人好しだと思う。

「う、運命なんだと思ってたのにー……。」

ぼろぼろと泣きながらなまえは何度目かの失恋の顛末を語り出す。

「女の子らしい子が好きだって言ったから、髪だって伸ばして、スカートも頑張ったのに……!」

スカートという単語にソファーに座るなまえの太股に目がいき、慌てて目を反らす。その柔らかい白さを浅ましく思った、いや浅ましいのは俺か、ああ畜生、調子が狂う。思わず舌打ちをした。

「え?何で今舌打ちした!?」

「うるせー。なんでもねーよバカ。」

本当に調子が狂う。コーヒーでも飲もうと立ち上がった俺に構わずなまえは話し続ける。

「……でさ、他に好きな子ができたって誰だったと思う?女子ラグビー部のエースよ!?女子ラグビー部の!!」

こいつには悪いが、つい笑ってしまった。てゆーかお前の発言は女子ラグビー部に失礼だろう。

「何がおかしい!?」

「いや、本当にお前は男運が悪すぎる。それで髪を切るってか?」

「ああ。切る!切ってやるこんな髪。」

「馬鹿なやつ。」

馬鹿とはなんだよーとかなんとか騒ぐなまえにコーラを渡したら大人しく飲みだした。俺はコーラは飲めない、それをこいつは知らない。


「しゃーねーな。後で文句言うなよ。」

引き出しからハサミを取り出す。髪を切るためのものでないそれをせめて布巾で拭いてやる。
広告を床に広げた真ん中に座らせると、なまえは一瞬不安そうな顔をしたが、気を取り直したかの様に叫ぶ。

「よっしゃ来い!」

「はいはい。本日はどの様に致しますか?」

「可愛くしてください。」

「それは難しい。」

なんだとコラなどと口汚い彼女の髪を一房掴む。俺は一瞬衷躊躇する、しかし、その躊躇が徐々に高揚めいた感情になる。それが腹立たしい。
腹立ち紛れにハサミをすっと近づけ思いっきり手を閉じた。

ジャキン!

鋭い金属音と共になまえの髪の毛が落ちる。
びくりと目の前の小さな肩が震えるのを見て、俺の肌が無意識に泡だった。
小さく、気づかれないように呼吸を整える。

「……三郎?」

何時までも動かない俺になまえが不安げな声を出しながら振り返った。

「悪い。失敗したかも。」

「えっ!?」

「動くなよ。これ以上変になりたくないだろ?」

「う、うう……。」

なまえは顔をしかめながらまた前を見た。
俺は無神経を心掛けながらジャキジャキと彼女の髪を切っていく。


10分程して漸く形になった。終わったぞ。と声を掛けるとなまえはバラバラと身体の髪の毛を払う。
露になったうなじに細かい髪が着いている。俺は拳を固く握った。

洗面所に向かっていき、なまえは首を傾げたりしかめっ面をしたりしている。

「下手くそ。」

「るせー。馬鹿。」

「うん、でもまあこれで暫くは男っ気無くても理由は立つ。」

こちらを見てにやっと笑う。髪がちょんちょんに短くて小さな子供のようだった。とかなんとか言いながらも鏡に向き直り、手ぐしを入れながら整えようと奮起している。

「私って男運無いのかな。」

「何を今更。」

「ちゃんと良い人表れるかな。」

「……俺がいるだろ。」

「え?」

ぱっとこちらを振り返ったなまえにハサミをチャキンと鳴らして笑ってみせる。

「振られたら毎回切ってやるよ。」

「…その内坊主になりそう。」

へらりと笑うなまえの事が心底憎らしい、憎らしいと思っておく事ぐらいは許されるだろう。
部屋の掃除をしてから、彼女は俺の部屋を去った。

急に静かになった部屋で俺は意味無く、ハサミをチャキンチャキンと鳴らす。そっと頬に当てるとひやりと冷たかった。


「馬鹿なやつ。」

あいつじゃない、それは俺の事だ。
彼女に触れた二本の刃ですら憎らしいと思うことだってこの馬鹿にきっと許されるべきだろう。


触れども引けるものなし



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